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マッキンダー&曽村保信Bot

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地政学中興の祖マッキンダー卿と、その著書の訳者で地政学研究者の曽村保信氏の言葉とを紹介する手動botです。 引用書籍リストは固定ツイートを参照。

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2 years
引用元の書籍は、各ツイートの末尾に出版年で記しています。 S.H.J.マッキンダー 著: 『地理学からみた歴史の回転軸』1904 『デモクラシーの理想と現実』1919 『球形の世界と平和の勝利』1943 曽村保信 著: 『海洋と国際政治』1970 『世界の海をめぐって 近代海洋戦略の変遷』1971 続く
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4 months
第二次大戦中にアメリカで出版されたある戦略論の教科書で、 「日本海軍 は世界でも有数な、良く均整の取れた戦力を保有しているにも関わらず、そこには一貫した戦略思想がまったく見られない」 という意味のことが書かれてあったのを読んで、はっとさせられたことがある。 その論者によれば、
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2 years
第二次大戦中にアメリカで出版されたある戦略論の教科書で、 「日本海軍 は世界でも有数な、良く均整の取れた戦力を保有しているにも関わらず、そこには一貫した戦略思想がまったく見られない」 という意味のことが書かれてあったのを読んで、はっとさせられたことがある。 その論者によれば、
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3 years
第二次大戦中にアメリカで出版されたある戦略論の教科書で、 「日本海軍 は世界でも有数な、良く均整の取れた戦力を保有しているにも関わらず、そこには一貫した戦略思想がまったく見られない」 という意味のことが書かれてあったのを読んで、はっとさせられたことがある。 その論者によれば、
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4 months
日本の国民は、戦争がなければ海軍に関心を持たず、彼らが書いたり読んだりするものは、ことごとく上っ面なセンセーショナルなものばかりである」 ということが指摘されていた。1987
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4 months
日本人の海軍に対するものの考え方は 「不断の状況分析の習慣に欠けて主観的であり、自国の利益に直接関係ない海域のことについては、ほとんど興味を示さない。その証拠に、1916年のユトランド沖海戦(第一次大戦における英独両主力艦隊の決戦)を分析した専門書が一冊も見当たらない。
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2 years
日本の国民は、戦争がなければ海軍に関心を持たず、彼らが書いたり読んだりするものは、ことごとく上っ面なセンセーショナルなものばかりである」 ということが指摘されていた。1987
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2 years
日本人の海軍に対するものの考え方は 「不断の状況分析の習慣に欠けて主観的であり、自国の利益に直接関係ない海域のことについては、ほとんど興味を示さない。その証拠に、1916年のユトランド沖海戦(第一次大戦における英独両主力艦隊の決戦)を分析した専門書が一冊も見当たらない。
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3 years
日本の国民は、戦争がなければ海軍に関心を持たず、彼らが書いたり読んだりするものは、ことごとく上っ面なセンセーショナルなものばかりである」 ということが指摘されていた。1987
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3 years
日本人の海軍に対するものの考え方は 「不断の状況分析の習慣に欠けて主観的であり、自国の利益に直接関係ない海域のことについては、ほとんど興味を示さない。その証拠に、1916年のユトランド沖海戦(第一次大戦における英独両主力艦隊の決戦)を分析した専門書が一冊も見当たらない。
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2 years
ヒットラーは開戦後、きわめてわずかな小艦艇と有力な航空部隊の力をもって、ただちにバルチック艦隊をフィンランドの湾内に押し込めてしまった後、これを機雷で完全に封鎖してしまった。 こうして同艦隊所属のソ連水上艦艇数十隻ならびに八十隻以上を数えた潜水艦は、
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2 years
ロシアのピョートル大帝は、18世紀の初頭に、首都をモスクワからペトログラードに移しているが、これはスラブ的な環境を離れて、ドイツ的な環境に移り住んだことを意味している。 それは当時のペテルブルクというドイツ式の呼び名が如実に語っている通りだ。
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2 years
黒人奴隷取引禁止の国際協定に、1世紀近くもかかったと聞くと皆驚くだろう。 しかしそのリーダーシップをとったのが、人権尊重のフランスでもアメリカでもなく、当時世界最大の海軍国英国だったという事実は知られてない。 ただしこれは、19世紀の英国が産業構造上あまり奴隷を必要としなくなった
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1 year
ドイツ民族ぐらい土地を求めて苦労した者はないだろう。 詩人アルントは"たまたま地理的に見て一国の自然な限界が,同一民族と同一言語で満たされた場合,その国家はあらゆる神々に感謝するべきである。 ここに市民的な幸福と人間的な発展への萌芽があるからだ"と言った。 しかし日本人にとっては当たり
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2 years
世界中どこでも昔から、軍艦を作る能力のない造船所は、決して一流にランクされない。 これは、軍艦が商船を保護する責任を持っている以上、当然スピードにおいても、また耐久性においても構造上商船に立ち勝っていなければならないからで、従って民間の造船所にとって軍艦の発注を受けることは、
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3 years
引用元-各tweet末に出版年で示す Mackinder 地理学からみた歴史の回転軸 1904 デモクラシーの理想と現実 1919 球形の世界と平和の勝利 1943 曽村保信 海洋と国際政治 1970 世界の海をめぐって 1971 近代史研究 1977 海の生命線 1983 地政学入門 1984 ペリーはなぜ日本に来たか 1987 海の政治学 1988
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7 months
戦前の時代には、国の海洋行政に関することは、ほとんど海軍が一手に引き受けていた。 造船や海運の事業の指導はもとより、海図の作成や漁業の保護にいたるまで、ほとんどすべてのことがその管轄のもとにおかれていた。 けれども海軍が無くなった現在、
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2 years
最もはっきりした戦果としてあげられるものは、戦争後期における黒海艦隊戦隊の上陸作戦ぐらいであったということになる。 さらに太平洋方面でソ連海軍の果たした役割といえば、わずかに終戦のドサクサにまぎれて千島や南樺太を占領したり、北鮮の数か所に上陸したりしたことだけだった。1972
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1 year
日本では明治の軍制で、陸海軍の将校の階級呼称を一律に同じに決めてしまったが、ヨーロッパでは海軍と陸軍とが全然別のよびかたをしている。 海軍では最高の位をアドミラル(英米ソ独に共通、フランスではアミラル)というが、その語源は十字軍時代にアラビアから伝わったアミール・アル・バールで、
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1 year
ロシアの農民はほとんどが文盲である。 彼らは都会出の革命派に協力して、やっと年来望むものを得た。 だが、今や小地主となった彼らには、自分の土地をどう管理経営していいものやらほとんど分からぬ始末だ。 またロシアの中産階級は、あまりに手ひどく痛めつけられたため、
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1 year
ロシアの戦略的価値を説明する効果的なのはフランスとの比較だろう。 フランスはハートランドほど四周を自然の障害によって守られていないため,面積の割に守るべき国境線が長い。 北東部を除き,その国土は海と山に囲まれている。 第一次大戦では,アルプスとピレネーの背後に敵を持っていなかった
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1 year
日本は20世紀に入り二度、インド洋における歴史の流れを変える大事業に手をつけた。 1回目は日露戦争で、ロシア帝国の太平洋進出を一時停止したばかりでなく、西から東に向かって流れていた近代文明の潮流を逆に向ける一歩になった。
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2 years
事実上黒海に何も海軍力を持たないドイツの輸送船団の動きを妨害することすらできなかった。 これは制海の方法論ならびに実力をもたない海軍が、いかに無用の長物であるかということの如実な例証である。 また、ソ連の潜水艦戦術も、きわめて拙劣であった。 それで結局、
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1 year
油断がならないのは,中国勢力のインド洋周辺に対する進出である。 昔からインド人と中国人とは,インド洋周辺地域での商業上のライバルだった。 華僑に対して印僑という言葉があるが,これまで特に東アフリカの海岸地方諸国では,印僑が隠然たる勢力を振るってきた。 ところが,これらの国々が独立して
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2 years
ドイツの優れた航空力と対潜戦術との前に、ほとんど何の役にも立ちえなかったことになる。 それから黒海でも、ソ連は巡洋艦5、駆逐艦27、潜水艦50以上という相当の数の兵力をもちながら、もっぱらただ基地と造船所の防衛にだけ従事して、
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1 year
どの国の軍隊でも学校教育は軍人を柔弱にするという偏見が根強くある。 ペリーもまたこうした部内の抵抗と根気よく戦いながら、一歩一歩目的を達成していった。 その成果が、1845年のアナポリス海軍兵学校として結実したわけだ。 海軍に限らず組織内の教育というものは、階級は昇任制度の原則の確立と
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1 year
S.モリソンの意見によると、ペリーは自分で東インド艦隊を率いて日本との交渉の任にあたることは、望んでいなかったようである。 彼の希望は、地中海派遣艦隊の司令官になることだった。 そのころから、日本政府は最大の難物だと考えられていた。
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4 months
第二次大戦時代の日本海軍は、ただ戦術の追求にばかり没頭して戦略眼に全く欠けていたと批判する人もある。 これはかなりの程度まで当たっているかもしれない。 しかしながら、最大の責任は政治にあった。 そして、その政治をあやまらせた官僚や指導的な知識人の海洋問題についての無理解にあった。
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2 years
日本は経済大国というのにはためらいを感じる。というのも,まだ産業に必要な資源を,常時確保する体制を整えていないからだ。そのおりに眼にしたのが,英国海軍のヒル少将が書いた『中級国家の海洋戦略』(Rear Admiral J.R. Hill, Maritime Strategy for Medium Powers, 1986)だった。驚いたのは,中級
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2 years
その当然な結果として、18世紀から19世紀いっぱいにかけて、ロシアの政治組織におけるドイツ人の影響力にはただならぬものがあった。 とりわけツァーリの政府をささえるロシアの官僚組織の要員は、その多くがバルト沿岸地方に住むドイツ系貴族の次男坊以下のクラスから募集されていた。1919
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1 year
現在、一部の人達は、世界的な空軍力(エア・パワー)の発達によって、すでに艦隊や地上軍の出番は無くなったと考えているようだ。 しかし、私が現実的な考え方をするある空軍の人から聞いた話では、 「空軍の力は、その地上施設の良し悪しによって、決定的に左右される」
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4 months
事の起こりは、英国がアメリカの独立戦争によって、その最大の植民地を失ったことにある。 それで、英領の西インド諸島では、たちまち奴隷の供給過剰をきたした。 そこで英国の政府が打った手は、たまたま国内で有力になった人道上の動機から奴隷の保有を禁止すべきであるという議論を利用して、
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1 year
第一次大戦直前に書かれた内田良平の『日本の三大急務』を読んで異様に感ずるのは、彼が急激にドイツに傾斜していることで、特にプロイセンの国民皆兵制度の意義を強調し、軍事、商工業政策においてドイツの近代史に学ぶべきであると言っている。 その理由はやや理解に苦しむが、
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1 year
ペリー(提督)は,最も近代的な意味での軍紀風紀の改革者であり,またその権化だった。 彼は,水兵に対する体罰の習慣を嫌悪していた。 とはいえ,彼の部下の士官に対する躾教育は徹底していた。 艦内での飲酒は禁止され,その代り,ポーカーのささやかな賭けで,上陸時にシェリー酒等を奢る当番を決める
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2 years
ためで道徳的理由だけに基づくものではない。 英国はシーパワー拡張と維持のため、巧みにこの問題を政治利用した。 事の起こりは、独立戦争でアメリカを失ったことにある。 英領の西インド諸島ではたちまち奴隷が過剰供給になった。
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10 months
第二次ポエニ戦争(紀元前218〜201年)において、カルタゴの陸将ハンニバルは、ローマのシーパワーとの決戦を避け、陸路を迂回して目的を達することに努力した。 これは、クセルクセスやアレクサンダーが彼らに敵対するシーパワーに対してとったのと、まったく同じ戦法である。 彼は、その陸兵を地中海
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1 year
はたと当惑を感じた。 というのも,日本国民が極東の安全に関する一義的な責任を託しているアメリカの海洋政策についての文献が,我が国では薬にしたくてもほとんど見当たらないからだ。 日本の海軍,海上自衛隊をも含めて,日本の海洋事業全般に関する海外の著書や論文は,相当な分量に達する。 それだけ
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11 months
一般にヨーロッパの海軍軍人の生活は、我々に比べてずっと享楽的である。 日本の練習艦隊も、あまり予想もしなかったオランダやフランスで大歓迎を受けた。 海軍を愛する気持ちは、国境を越えてかよいあう。 が、日本政府の外国練習艦隊に対する接待ぶりは、ただ儀式ばかりで
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10 months
バーナード・ショー氏は 「できる者は実行する。できない人は教える」 と言った。 もしこの”できる、できない"が、機会の有無を意味するとすれば、実は非常な真理を言っていることがわかる。 自分の思想を実際に試してみる機会に恵まれた人達は、責任を持ってものを考える職業につく。 しかし
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2 years
戦時でもないのに、人道上の理由でやたら軍艦が商船を捕まえるのは乱暴に聞こえる。 これが海賊相手ということになると話が別で、堂々と取り締まることができる。1988
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1 year
文明史の上でいえば、クリミア戦争は事実上帆走海軍が使われた最後の国際戦争だった。 その意味は限りなく大きい。 要するに黒海と地中海の制海権を巡る欧州諸国間の闘争で、主な関係者は英国、フランス、トルコ、ロシアで、イタリアとオーストリアの利害も微妙に関連している。
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1 year
ポーランド人は一般的にいって、ロシア人よりも文明度が高い。 これは現在ロシアに吸収されたポーランドの部分についてみても、やはり同様である。 (中略) 新生国家のポーランドには、何らかの方法でバルト海への出口を与えることが希望される。
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1 year
クリミア戦争の戦闘は黒海ばかりでなく、バルト海とその周辺や白海でも行われた。 特にバルト海における相互の交通遮断戦は、相当激しく行われたが、とりわけロシア海軍の特性をよく表している点で大変興味深い。 すなわち当時のロシアのバルト海艦隊は、英仏に比べて兵力的におおむね優勢だったにも
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2 years
海軍の歴史は明治元年に東京の築地に海軍局を置いた時から数えて、わずか77年に過ぎない。 けれども、その間に日本が鎖国によって失った分は十二分に取り返された。 その前半にあたる日露戦争の頃までは、世界的なシー・パワーの実情からみれば、いわば日本は当時
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3 years
トルコ系の言語が公用語の国
@simongerman600
Simon Kuestenmacher
4 years
Map shows where at least one Turkic language has an official status. Source:
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6 months
日本人の事業の欠陥は、満州事変の直後における満州国建国の時代に、すでにありありと現れていた。 一般に、極度に高い理想をかかげた政治体制には、必ず非常な風紀の壊敗をともなうのが常である。 満州国の場合も、またその例外ではなかった。
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@MackinderBot
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1 year
ハウスホーファーがひどく感心したのは、日本の政界指導者たちが世論を誘導する巧みさ、つまりコンセンサス形成の秘技だった。 ドイツ帝国の議会は、国策の順調な遂行を妨げる間断のない 政争の場としてしか、彼の眼には映らない。
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@MackinderBot
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2 years
ドイツの潜水艦乗りにすれば,第二次大戦は第一次大戦の敵討ちのようなものだった。 潜水艦長のデーニッツは,ドイツが平和条約で潜水艦の建造を禁じられたため,やむを得ず水上艦艇に勤める。 だが1935年のロンドン海軍協定で,ドイツは水上艦艇については英国の35%で満足することを認めた代わりに,
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
11 months
通商破壊戦の考え方の伝統がほとんどない日本を相手にした場合,一方的にこれを実施することにあまり困難がなかった。 要するに日本の場合,水上の艦隊が刀折れ矢尽きたときに全てが終わった。それで一度に4隻の制式空母を失ったミッドウェー海戦が,太平洋戦争の最大の転機とみなされるわけである。
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
11 months
今私の手元に、日本が太平洋戦争を始める約5年前の1936年10月に出た、アメリカの『フォーチュン』誌の日本特集号がある。 当時『フォーチュン』誌といえば、極めて権威のある雑誌で、この号は表紙に菊の御紋章とともに漢字で「日本」のタイトルがつき、
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@MackinderBot
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1 year
日露開戦の直前の時期に、ロシアの外交が動揺を極めていたことについては前にも触れた。 そして、この間、その外交が朝鮮問題については逐次妥協の態度を示した形跡も、また皆無ではない。 なるほど、東京におけるローゼン全権は、最後の段階にいたるまで朝鮮の非軍事化と、
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
11 months
英国が海の王者となったことは、反面世界に非常な幸福をもたらした。 それは海図が国際的に統一されたことである。 これは1885年に本初子午線が、グリニッジ天文台を通過する決定が行なわれたときに起こった。
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
2 years
それで、わが日本でも大手の造船企業は、それぞれに艦艇の専業部門を持ち、例え採算を度外視してまでも建造技術の温存につとめているのが現状である。 世界の工業先進国で政府が造船業の育成に重大な関心を持っていないところは、ただの一つもない。1988
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
11 months
よく第二次大戦のリハーサルだったといわれているスペインの内乱(1936-39年)で、人民戦線が敗��した理由のひとつは、結局は彼らが海上補給を確保する力に欠けていたことであった。 スターリンがこのとき、あえてソ連海軍の艦艇で、人民戦線派に軍需物資を運ぶ商船隊を護衛しようとしなかったのは、
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
2 years
条約、協定が結ばれた。 ラテン・アメリカの新生諸国との間でも外相ジョージ・カニングの巧みな誘導で、奴隷禁止が独立国の承認条件とされた。 こうしてできた機構の意義は、平時に軍艦が他国籍の疑わしい船舶を臨検する権利を得たことにある。
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
1 year
海軍は経済人と同じに、たしかに一種の国際人種になる傾向をもっている。 これは日ごろ海を通じて外国人とつきあう場合が多く、また平和な時代の軍艦は、一種の外交的な役割をもつからであるが、ことに近年は技術交流の機会が激増してきたために、なおさらこの傾向に拍車をかけている。
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
1 year
ペリー提督の父親クリストファーの時代、アメリカの造船界では、特に私掠船の活動に適した船型を一生懸命に開発したため、これが彼らのシーパワーとしての立ち上がりの基礎になった。 その元になった思想は、当時艦隊間の戦闘の花形とされた戦列艦よりは武装において劣るが、
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
1 year
気の毒なのが西ドイツの海軍である。 神聖ローマ帝国以来の小邦分立で民族的な統一が遅れたため、近代海軍としての成長はやっと19世紀の末近くになってから始まったが、バイキングの昔からあるその海事の伝統はやはり古い。 帆船時代から現代にいたるまで、艦船の発達史からドイツ海軍を除外すること
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
7 months
幕末日本でシーパワーの感覚を身につけていたのは,僅かに薩摩藩だけだった。 佐賀や長崎にも,それらしいものがあるにはあった。 が,長崎の警備を担当するこれら両藩の場合は,どちらかというと外国船からの被害者意識に繋がりやすかった。 規模は小さくとも,ともかくも自前の琉球貿易をやって藩の財政
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
2 years
私は日本国民に向かって、もう精神的な鎖国はやめよう、といいたい。 私も軍国主義は嫌いである。 が、そうならないためには、平常から世界の現実を直視し、各国がやっているような防衛の努力を順次民主的なルールを通じて積み重ねていくしかない。
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@MackinderBot
マッキンダー&曽村保信Bot
7 months
旧帝国海軍については,これまで実に多くの本が書かれている。 が,その多くは懐古的なものや興味本位のもので,全体をカバーした通史的なものは,伊藤正徳の名著『大海軍を想う』(昭和31年)以外あまり多く見当たらない。 ただし,それは極度に簡約すれば,たった一行でも書けると思う。 「権兵衛が
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