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創刊20年目。「袂に知恵と工夫」を掲げる『月刊アレコレ』の編集人です。本職はコピーライター。外部編集やライター、撮影ディレクション等、広告・書籍など着物に特化したクリエイティブな仕事してます。服飾史オタク。59kimonoで知られる「綿麻着物」ジャンルの提案、仕掛け人。着物に初めて「マイサイズ」という言い方を導入。

東京日本橋
Joined May 2010
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3 years
昭和26年。戦後6年目の『主婦と生活』で提案している花嫁姿が驚愕。洋髪に花とチュール。他に長いレースを使ったり、斬新な着付けなども。近年のきものの推移として『月刊アレコレ』で取り上げるしかない!と盛り上がる夜中でありました。 つくづく、昭和30年代以降きものはカセをはめられたと思う。
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@arecole
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3 years
デニム、レース、ジャージー、コーデュロイ。 この10年程でこれらの素材のきものが出てきて「画期的!」となっているけど、 昭和30年にはそれらのきものはすでにあって、なんだったら別珍きものまであった事実が完全に埋もれてる。 結局、戦後昭和の黒歴史の部分のみが記憶されているという…。
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3 years
日本家政学会服飾史の研究報告「女学校創設期の服飾資料の保管の現状」から。大正11年頃の大阪樟蔭学園の式典用の黒紋付と袴。袴は海老茶ではなく緑だそうです。 普通にみさまるさんが着てSNSにアップしていそうなんですけど(笑)。振袖に袴もいいけど、宝塚の卒業式みたいなこういうのもいいなあ。
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@arecole
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3 years
明治中〜後期の女児の袴が、まるでフリルのドレス。かわいい❤️ 実はこれは揚げ。どんだけ揚げとるの?って感じですが(笑)、成長して高学年や女学校の制服になると、揚げを下ろしたラインが残っているのが分かります。日常の服としての工夫がフォトジェニックになるなんてサイコー。男児の衿出しも。
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10 months
昭和初期の京都?のお正月。子どもたちが普通にきものを着ている。袖の揚げがカワイイ。最近は七五三でもレンタルが多いから袖揚げをあまり見なくなってきたのがさみしい。肩揚げといい、子どものきもののカワイサは揚げにあると思っている。
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@arecole
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3 years
10年前くらい前にデニムきものが出てきた���きは、 新しい!おもしろい!時代が変わった!新感覚!…等々の受けとめ方だったけど、 昭和31年にはすでにあったって、知ってます(笑)。インディゴ染めじゃないけど、アップリケまでつけている超カジュアルラインが提案されてます。やるなあー、昭和。
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@arecole
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9 months
昨日ポストしたDiorのパリコレ新作。やはり日本の丹後のメーカーさんのものだった。田宮螺鈿さん制作。
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2 years
女性が茶湯を嗜むのが一般的になったのは明治から。で、その明治の錦絵で見るに、被布を着て手前をしている画が結構ある。当時はそういうもんなの?また羽織もあって着物も華やか。現代、お茶といえば無地だけど、誰が言い出したんだろ。
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@arecole
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4 years
皆さん、マネしていいですよーとFBの着物グループで某さんがアップしていた画像。素晴らしい。かわいい。そして襦袢の袖口の汚れを軽減するという、いうことなしのアイデア。👏 きものって、ほんと、たのしむものだなあって思います。
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@arecole
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1 year
今日の撮影の一枚、風通紗。もう絶滅と言っていいきもの。新しく出てくることはないと思う。一枚で、表、黒。裏、赤。しかもこの真っ赤。なのに蝉の羽のような繊細な透け感。ほんと、日本の織物の技術に萌える。
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@arecole
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3 years
黒紋付を喪服と呼びたくない…。 女性の場合はほぼ葬儀だけでの着用になっているからですが、昔の女学校の正装、宝塚の式典の黒紋付+袴もカッコいいと思うわけです。 大学の卒業式とか、特に大学院の学位授与式なんか米国のガウン(アカデミックドレス)みたいで特別感あっていいと思うんだけど。
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@arecole
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2 years
→これがさっき紹介した結ばない伊達締め。小暮美千代のこのシーンをみてマネしました。 それにしてもまあ、所作が美しい。
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@arecole
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3 years
パリ万博での一見へんてこな武士の装い(今ならむしろおしゃれw)。当時は大真面目にこういう格好をすることが新時代へ向けた行動実践の一つでした(幕末榎本軍の同志)。 流行で民間が始めたのではなく、武士、幕府の要人達が率先したことに明治洋ミックスのおもしろさがあるんですよねー(陶酔)。
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@arecole
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2 years
襲で、補整をせず、帯板を使わず、お引きずりで着てあとからおはしょりをとるとこんな感じになります。 帯揚げ帯締めは留めた位置がそのまま前にきてる感じです。 肩揚げがあって帯は少女がする立て結び。お揃いの柄なので、多分15〜17歳くらいの姉妹。
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@arecole
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3 months
先日取材で訪れた高校は元は女子校で、校内には歴代の制服が展示。袴にラインが入るようになったのは同じく袴を着用する職業婦人と他校との区別と言われています。 洋服になってからのスカートのヒダとラインは袴の名残りと思っているのですが…。写真は明治末〜大正初期の家族と戦前の札幌の学校。
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@arecole
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1 year
明治末の婚礼振袖。こんな肩まで柄は入っていません。昭和10年頃まではほぼ裾模様の黒地紋付の振袖。そして丸ぐけの帯締めは白。 もちろんドラマだからそれはそれで観てるけどNHKだからねー(笑)。 きもの映像警察、発動しちゃった😅
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@arecole
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5 months
これ、私の3年前の投稿。「寅に翼」の寅子が婚礼振袖に、義姉の花江の婚礼ドレスのチュールをつけた拵え。大袈裟な式をしないでうちうちの式だから、日本髪・角隠し代わりのせめてものチュールだったのかも。戦後は雑誌に和装にチュールの婚礼衣装が提案されちょっとしたブームになった。
@arecole
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3 years
昭和26年。戦後6年目の『主婦と生活』で提案している花嫁姿が驚愕。洋髪に花とチュール。他に長いレースを使ったり、斬新な着付けなども。近年のきものの推移として『月刊アレコレ』で取り上げるしかない!と盛り上がる夜中でありました。 つくづく、昭和30年代以降きものはカセをはめられたと思う。
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@arecole
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1 year
大正時代の女学生の袴の履き方は、ほぼスカート丈。先日会ったハンガリー人の着物好き女子が着物にスカートを合わせていたけど、私的には普通に袴に見える(笑)。 写真の少女はベルトから御茶ノ水女子。現在の制服でももこのベルトは健在(笑)。
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@arecole
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3 years
キュプラ(ベンベルグ)を化繊だと思っている人が意外と多いですがキュプラは綿100%の再生繊維。糸として使用できない綿の種に付いた産毛を人工的に生地として再生しています。組織が違うため綿表示はできませんが吸湿性があり、かつ綿にはない滑りの良さがあるので裏地に使われることが多いのです。
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3 years
明治〜大正〜戦前戦後、各時代の着付けで衿元同様、すごく特徴が出るのが帯締めの締め方や位置。 昭和30年前後の帯締め。「ミセスは右上げ」で「右は上から、左は下から挟む」という指南。着付けのルールは戦後からの様な気がする。しかし結局現代では残っていない。ルールって意外にこんなものよね。
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知人の明治生まれの祖母。当時は10歳かそこらで置屋に修業に入っていた。この子たちは衿替え前の13〜15歳。肩揚げと袂の揚げが初々しい。いまは16歳〜18歳くらいで修業を始めるので、肩揚げはあっても袂の揚げを見ることはあまりないと思う。大正12年、京都渡月橋。
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@arecole
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3 years
和傘の持ち方が逆さまってつながりから。大好きな溝口健二の「祇園囃子」(1953)の木暮実千代の日傘。和傘は先っぽを上にして持ちます。 因みにこの映画、襦袢姿や伊達締めだけでくつろいでいる姿��かが多く、それがまぁいい!☺️ 現代の女優が完成形じゃないきもの姿で様になるって難しいと思う。
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@arecole
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2 years
二部式着物の上と下で入れ替えて着る!?すごい斬新なんですけど😳 ここで紹介している作り方は布四幅で衽なしというから、巻きスカート感覚でしょうか。 帯がセットになってるのがよくわからないけど、広幅だから帯も作れるとか?戦後の新時代ブーム、勢いがつきつつある昭和25年。
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@arecole
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2 years
「東京キモノショー キモノスタイル展」で私が構成監修した着物の変遷コーナーの解説を少しずつツイートしていこうと思います。 まずは明治の女学生(女児)。あまり知られていませんがブラウス袖の着物に袴姿は珍しくありません。高畠華宵の絵にもあるこれを再現しました。資料は明治の『風俗画報』。
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@arecole
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3 years
今年の椎名林檎は黒留袖に黒羽織。彼女の黒羽織の着方はまさに「しゃれ黒羽織」。略礼装ではなくおしゃれで着る黒羽織として『月刊アレコレ』が15年前に提案しているんです。エルメスのスカーフを羽裏にして、薔薇のしゃれ紋を刺繍で入れた私の黒羽織。カッコいいでしょ(自画自賛w)。
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着付け教室とレンタルを行っているところへ某TV局の朝の情報番組の取材が入ったんだけど、若い女性タレントと訪れた女性ADさん、取材相手の先生を「お母さん、よろしくお願いします」「お母さん、浴衣はこれですか?」――は?なんだ?そのお母さん呼び。親しみの大いなる勘違い。
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@arecole
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2 years
企画監修した東京キモノショー「キモノスタイル展きものの変遷」シリーズから。 中流以上の家庭ですが、明治時代の女児や少女の帯結びは基本、たて結び(立て矢ではない)。シゴキで帯を押さえます。明治〜大正初期の5歳位の女児のきもので再現。着物は襲で大袖。大袖は珍しいですがたまにあります。
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スレッド、また炎上してる。未婚でも親族以外が結婚式で振袖着るのはなし、花嫁が目立たなくなる……?はて?この手の話題で気になるのは発信者。着付などをしているそこそこキャリアあるアピールする着物関係者。さすがに否定してる人がほとんどだけど、この説、論はどこからくるものなのだろう?
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3 years
昭和14年1月。左から2人目の友人の祖母が美しい。同級生の結婚式で。同年9月にはヨーロッパで第二次世界大戦勃発。日本はギリギリ戦時体制に入る直前で、14〜15年位までこういう華やかな装いが散見されます。 結婚式に振袖で出ると両家の親にものすごく喜ばれるけど、ほんと断言できる。振袖は正義!
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@arecole
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3 years
最新号『月刊アレコレ』で紹介している、生涯これ以外使わないであろうことを断言できる、私が愛して止まない腰紐。ゑり正さんの「きんち(絹地)腰紐」。初めての人は「太っ、広っ」と思うかも。これがねー、体温で温まると体に入っていって“異物感”がなくなるんです。締まりもいいし、ほんと優秀。
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2 years
企画監修した東京キモノショー「キモノスタイル展きものの変遷」シリーズから。婚礼衣装としては大変めずらしい、雷紋、龍、鳳凰が表された大正時代の引き振袖。持ち主が着た写真と孫娘が昭和に着た写真。着物ってほんと素晴らしい。このように受け継ぐ着物はお下がりというよりステータス。
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2 years
先程のブラウス袖に袴の女学生。衿元には衿留。当時、流行した衿留めが装飾化されてきます。コレも再現。蝶々で作ってもらいました。 皆さん、かわいい、今でもやってみたいと大好評でした。
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2 years
『月刊アレコレ“きものびと”』で74歳のすっごいチャーミングな方を取材しました。彼女は74歳という年齢を置き去りにした「見た目が若い」という形容より(実際若見えですが)、その年齢が素敵に見える若さ、かっこよさ。夏木マリ的な?顔だけでなく立ち姿の若さ。専業主婦歴50年というのもシビレル。
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9 months
今季Diorのコレクション。 もう、これ、きものにしか見えないのは私の脳内変換装置の問題でしょうか(笑)。
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3 years
いまはきものも「洗う」が一つの課題となっているから、昔より化繊に対しての拒否感が薄れてきていると思う。素材も進化してるし。 それで私も綿麻きものを提案したのだけれど、ただね、きものってそもそも、そんなに洗うものではないのよね。これが現代ではなかなか受け入れられなくなってきている。
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今月号の「淡交」が、5月から単衣にーと示したとのこと。(きくちいまさん情報) それを「お先に、という気持ちで」という示し方に痺れました。 どうにも暑くて9月初旬に薄物を着ていた友人が、そのことを一言伝えたら、老齢の先生が「お名残ということで」と答えたという話も大好き。
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2 years
「東京キモノショー キモノスタイル展のきものの変遷」シリーズ。 戦前までは黒留袖の帯揚は緋色(赤)があ���ました。私の古写真や古雑誌での調査だと20〜30代位までの若い既婚者です。今回はそれも再現。明治ではみられず大正〜戦前です。いまはall白がお約束の黒留袖。第一礼装でさえ変わるんです。
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7 years
成人式当日に姿をくらました「はれのひ」社長の顔写真が出回ってる。「これがその社長。拡散して捕まえよう」と。拡散している人はその写真が確かに本人という根拠があってのことなのだろうか。仮に、本人だったとしても、こういう拡散ってすごい怖さが伴う。
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8 months
黒紋付きの会(=結婚式終わりの親族の体で黒留袖や黒紋付きを着る会。コーデに多少のあそび心を入れつつもあくまで紋付きの格を保つのがお約束のマニアックな大人の遊び)。 和裁士さんは鳳凰。記者さんは海老。さすが個性的(笑)。「喪服を黒紋付きに復帰させよう運動」絶賛推進中の私は黒紋付き。
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3 years
明治維新後、欧米に倣って喪の色が黒になりますが、一般庶民はまだまだ白でした。第二次世界大戦の戦時中(戦死が多いため)貸衣装の白喪服の汚れが目立つので黒喪服が増えたという説があります。伝統衣装とはいえ、三越発信の訪問着といい、袋帯といい、結構商業ベースで操作されている感(笑)。
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2 years
1994年の『着物ぴあ』。ネットの普及を待つまで先端の情報を提供していたぴあ。別冊として『〜ぴあ』というムック本的な本も出すようになり、そんな中の一冊。バブルの申し子とも言えるかもしれないけど、デザイナーズブランド最盛期。錚々たるデザイナーの着物はいま見てもレベルが高い。
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1 year
ここ数年、カジュアル着物のユニセックス化が進むと言っているのですが…色柄以外の変化にも着目したい。 東京キモノショーでオフィシャルサポーターを依頼したMASAKIMONOさんは着やすいからとあえて身八つを開けて仕立てていたし、メンズ仕様だった振りを閉じた羽織もいまや女性用でも作られている。
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@arecole
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3 years
ずーっと気になってる『幕末太陽伝』のシーン。放り投げて袖を通す技は当時のものか、フランキー堺のアドリブか。芝居に詳しく、即座にこの話題が通じた知人は(かなりマニアックで誰にも通じなかったのでうれしかったw)、彼のオリジナルじゃないかと言います。コレをなんと長着でもやってるのよね。
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@arecole
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3 years
きものでは現代的と思われているデニム、ジャージ、レース生地などは戦後の昭和ですでに使われていましたが(紹介済み)、ゼブラ柄に加えて、豹柄もすでにありました。平成、令和、戦後昭和に追いついていない気がします😅 画像は豹柄の茶羽織。帯もおそろ。別珍で毛皮に似せたと言うのが妙味(笑)。
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@arecole
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3 years
きものにパーカのフード出して着るのが今どきっぽいメンズキモノ。しかし、大正14年大阪の小学生男児。シャツの丸衿をきものの衿の上に出す着方が、いま見ると先取り感ありすぎて、参りましたって感じ(笑)。2列目右のコなんか2枚重ね。親が「寒いから着なさい」とか?にしてもなんて自由なんだろ。
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@arecole
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5 months
以前、小千谷縮にガード加工をした某NCがあり、その件で一悶着あった。が、いまだに「木綿でガード加工を勧められ、結果暑くて、洗うと水を弾く」とがっかりの初心者さんがいる事実。まだこんなことで売上作ろうとしている(怒)。麻や木綿にガード加工は1ミリもメリットないどころか悪でしかない。
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@arecole
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3 years
なるほどねー。浮世絵や古写真に見る、昔の「ゆったりした着姿」って、いまみたいに細かに自分に合わせた寸法じゃないからなのね。大体がいまでいう並寸で「反巾いっぱいに仕立てていた」というのは、日常での仕立て替えの手間と、布を大事にするというところからなんでしょうね。なるほどね。
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@arecole
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1 year
明治40年頃の高等女学校の卒業式。女学生が着ている黒紋付は木綿も多い。 現代だと、きものは絹、紋付は当然絹という頭で捉えがちだけれど、きものが日常だった頃でも一般では絹は高値の花であったのだ。
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@arecole
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3 years
雑誌が着付けを取り上げ始めるのが、きものを着る人が少なくなってきた昭和初期。本格的に着付けにきれいさを求め始めるのが戦後。 当時の襦袢の着付け方。それぞれが違う雑誌で、同じ段違い平行棒的な紐使い。結局のところ、正解ってなくて、時代で求めるものが変わるだけなんだって思う。
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@arecole
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3 years
本日、着物アカウントで1万6千人のフォロワーを持つ、ロシア生まれ、ポーランド育ちのスターシャさんをきものびとで取材。普通ではなかなか共有できない明治大正戦前のきものの歴史や情報を思い切り話せて、たのしい取材でした!次号で紹介します。
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@arecole
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2 years
NHK「#探偵ロマンス」の日本髪が、ほんとうに美しく当時らしく結い上げていて惚れ惚れ。大体は“目印としての日本髪”をアタマに乗っけただけが多いけど、役の女優に似合う日本髪ってこういう日本髪なんだって思わせる。そして大正時代の衣装が、きものも洋服もほんと素敵だ。
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@arecole
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4 years
リサイクルショップに残っているような昭和の女物の小紋や紬を本当にうまく使っていると思う。信長らしい胴服(まだ羽織はない)は袖を接いでいて衿の生地の合わせ方も秀逸。画面映えで選んだと思われる着物は膨れ織。本来は着物用ではないコート地と思われる。画面上の完成度重視のセンスが素晴らしい。
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@arecole
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2 years
20代で作った紬を洗い張りして染め替えたもの。近藤サトさんのYouTubeでもちょっと触れた、裏物貧乏の一端(笑)。洗い張りして仕立て直しすると八掛は結構クセのあるあそび色を選ぶ傾向あるある。 画像ではブルーに見えるけど、ピーコックグリーン。悉皆屋の女将に軽く止められました(笑)。
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@arecole
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5 months
「寅に翼」でもう一つ言えば、いかにもなプラ衿芯入れた抜け加減でないところもいい。慌ただしい撮影の現場、実際はプラのやわやわ衿芯かもしれないけど、寅子が試験を落ちたかもしれないと突っ伏すこのシーンの衿のシワシワが好き。三河芯使っていたとしたら衣装さんサイコーだな(ここを撮る?ww )
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@arecole
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2 years
夏は帯枕をしないことが多いのですが、「…にしてはお太鼓に高さがある」と言われました。 ハリのある帯で、お太鼓の返しが多くて高くなると、それが台代わりになるからです。偶然の産物とも言えるますが、ヨコから見てやや丸みのあるCのかたちにすると良きです(普通7の形と言いますが)。
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@arecole
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4 years
最近気づいた。明治時代の着物がおもしろい。みんな大正浪漫に吸引されてるけど、実は明治の方が俄然、洋風とのミックスが男女とも多くとてもユニーク。時代のスケールが違うというか。 件の袖の謎も解けてきました。これもフリル袖(明治30年青森八戸の少女)。仕事落ち着いたら、まとめよう。
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@arecole
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2 years
企画監修した東京キモノショー「キモノスタイル展きものの変遷」シリーズから。昭和25〜35年に各婦人雑誌で提案されていた洋髪に花やチュールやレースを使った白無垢スタイル。エリカ様より半世紀早いという驚き…を再現。左が戦後で右が令和という違和感(笑)。この自由度を知ってほしかったのです。
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@arecole
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2 years
これからの、きものを考える会というか、そんな集まり――の委員候補の顔ぶれが私を除いて15人すべて男性という時点で違っていると思う。
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@arecole
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2 years
友人を介して譲られた明治大正の古写真。めっちゃ美しい女性。花子氏…雰囲気が素人っぽくない、芸妓さんかなと見ています。腰紐が見えてるのが夢二っぽい。 着こなしや半衿の合わせ方から見て、明治末〜大正初期。この形の衿合わせが流行った時期があるらしく、同時期と思われる写真でたまに見ます。
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@arecole
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2 years
式服準備中。既存の振袖では裄が足りない172cmの娘のために作った振袖。 生地から選び、ちょっとクセのある(笑)高身長の娘に合いそうな図案として描いてもらった、天地で通した半身の乱菊。 この振袖が全く知らないサイトで乱菊の柄見本として使われているのよね🙄
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@arecole
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3 years
東京キモノショーの撮影。キモノスタイルの「伝統技術を駆使したきものと時代きもの」エリアを監修します。当日ご覧いただく、雷紋に龍と鳳凰の引き振袖を時代衣装の着付けをなさる着付師さんに帯位置、帯締めの曲がり具合まで指示して着付けてもらいました。丸帯は明治時代。もう、皆でうっとり。
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@arecole
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3 years
それ言うなら、長襦袢は元々遊女が着始めたものだし(元は半襦袢と裾よけ=江戸では蹴出し)、小袖(きもの)だって下着だったんですけど(笑)。
@UYuxkx806SZmIiZ
コロナで仕事を失った着付け師
3 years
日○和装のお教室 入室2秒で 「浴衣着てきちゃったの?!」 から始まり30分怒られた🥺 「浴衣は寝間着なの!アナタ寝間着で外歩いてきたの!それがどれ程恥ずかしい事か分かる?!」 「素足に下駄を履いて良いのは20代まで!」 マジでお稽古前に帰ろうかと思った😇 次回で辞めます
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4 years
洗える天然素材は湿り気があるくらいで一度本だたみして重しをすることでアイロン要らずだけど(縮はもともとアイロンNGだし)、湿気を飛ばすためにハンガーにかけたものをそのまま着ちゃうこともあるけど、一度たたんで空気を抜いてから着たほうがスマートに見えます。続き→
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@arecole
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2 years
留袖と振袖。 上がるよねー。
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@arecole
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2 years
明治43年。女学生の記念写真。数人が衿留めを使っています。当時の流行。衿が開かないようにするためのものなんだけど、帯締め、帯揚げ同様本来の役割がありながら装飾的な要素が強くなってきている。やっぱりオシャレ心が勝つ。 そして、校則は破るためにあるーというは、伝統?(笑)。
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@arecole
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3 years
昨日のきもの。単衣の紬に博多八寸名古屋。帯板なしで。 昨年から、10月から4月まで通して着る単衣「通し単衣(10ー4)」の提案をしています。木綿を単衣できるのに、なぜ紬が単衣ではいけないのか? 別に袷を着ないと言っているのではなく、普段着なら体感温度で着ていいじゃない、ってことです。
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@arecole
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2 years
伊達締めって、どこの教室でも必ず結ぶ指導。まあわかるんですけど。私は伊達巻のように挟み込みます。最初は両手で伊達締めを持ってちゃんと衿合わせを抑えますが、持つとき一方を短く持ちます。これをやり始めたのは『祇園囃子』の中の小暮美千代の着付けシーンを見て。→動画
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@arecole
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1 year
眉を落として、口元もお歯黒?と思える明治中頃の写真。襲も着付けも明治らしくて好き。(因みにお歯黒は明治5年に禁止令が出ましたが一般にはまだ残っていました) 当時こういう半衿の出し方が多いのは、襦袢が広衿だから可能だったんでしょうね。広衿仕立ての襦袢はわずかに関西に残っているかな?
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@arecole
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3 years
諸々調べていると戦前って黒留袖の襦袢は「白羽二重か、緋の紋縮緬」となってるんだよねー。帯揚も赤の絞りが多い。 明治~昭和のきもの姿を描いた高畠華宵の「移りゆく姿」では黒留袖に絞り帯揚、襲の下着は白だけど襦袢が青磁色(多分大正~昭和初期想定?草履がそれっぽい)。この経緯が気になる。
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@arecole
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10 months
再現チームに関わった方繋がりでお声がけいただき、内覧会に行ってきました。 素晴らしいーー。2時間アホのように質問してガン見してきた(笑)。糸はブラタクというものの、染め、織りの美しさよ。
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@arecole
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1 year
炎上中のAIの左前イラスト。これ、中の人…というか、そもそも業者、日本人じゃなくない?疑惑を持っている。AIはその人の知識や日常で関心が高い要素で学習するわけで。そしてあれをまんまリリースする日本人の着物業者って絶対いないと思うのよね。返しのコメントも全然悪びれた風もなく。
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@arecole
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2 years
こちらも昭和30年代。おもしろい柄と思いきや、同じ生地を四角に切ってアップリケ。布テープをランダムにボーダーに貼り付け。鬼滅のきものは(笑)2部式。 生地はスーツ生地や交織のタフタなど。 これがアイデアだけでなく、実際に作ってるのがすごい。戦後はこの手のカジュアルきものが本当多い。
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@arecole
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2 years
「東京キモノショー キモノスタイル展 着物の変遷」の、先程紹介した龍と鳳凰の引き振袖のあとに、お色直しとして着たのが右の振袖(後年袂を短くしたようです)。 因みに、振袖のおはしょりをとらなければ引き振袖になると思っている人がいますが、身丈、柄位置が違うので振袖と引き振袖は別物。
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@arecole
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2 years
明治30年でメンズの着物コートはフード付き。洋服のコートが先だと考えれば、多分、実際には明治20年代には着物用ももうあったのよね。
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@arecole
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5 months
いやいや、こんな玄人のしきたりをしたり顔でSNSで投稿されたら、きもの民を混乱させるだけなのに。梨園の11代目さん。 > 着物のしつけ糸を着してから取る意味を知らない日本人が増えている事に最近気がつき驚いています、、
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@arecole
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2 years
カルティエのパーティでの平手友梨奈。衿元も違うし、袂もないのに、帯締、帯留風の小物をあしらったサッシュ(帯)だけできものアレンジに見えるという不思議。市松という柄もあるのかな。
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@arecole
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3 years
いえ、決してきもの警察ではありません。「るろうに剣心」好きなんですよ…ワンオクのテーマ曲もいいし。でも映像を見ると発作的に…裄の長さが気になって仕方がないビョーキ発動😅黒澤映画など古い作品は全て裄がくるぶしより上。刀を扱うわけですから…いえ健クン好きなんですよ、ほんとだから💦
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@arecole
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2 years
二部式浴衣。初めて着てみた。しまむら製。なるほどねーがいろいろあって、ルポ的にはおもしろい。後でまとめてみようと思いますが、上衣だけで見ると胸元、キレイなんですよね。 ただフリーサイズなのに、S~Mサイズ胸のない私でピッタリというのは胸のある人にはどうかな問題が一つめ。私的には良い。
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@arecole
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6 years
あのね、トランプ結びやKAPUKIの帯ベルトやAyaAyaさんの帯結びをしたい人は「巻くだけの帯結びをしたい人」ではなく「きものを着たい人」なのですよ。帯が売れなくなるとか言う人、どこか、焦点がずれてない?#巻き帯 #トランプ結び #帯結ばない帯結び #KAPUKI帯ベルト
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@arecole
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3 years
週末に着たきもの。やや身丈が長め。…の場合、私は別に紐を使っておはしょりを整えるのではなく、伊達締めの間から引っ張り出します。こうすると帯の中に手を入れて、衿元のゆるみを引っ張って直すことができます。(袷で生地が重いきものだと別に紐を使います)
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@arecole
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2 years
今日は羅の八寸。羅のときの三分紐(帯留をするとき)は後ろから結び目がめちゃ透けるので、脇に結び目を持ってきてあまりを押し込むようにします。 今日も暑さにめげずに、熱中症に気をつけて、がんばりましょーねー。
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@arecole
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2 years
明治後期の女学生。 手袋をして撮影に臨むというのは、いまだと、え?な感じだけど、当時はこれが流行でイケてたから。 写真を撮るというのは特別なことなので、めいっぱい、もしくはそれなりのおしゃれをして臨む時代。刺繍半衿に襲、髪飾りも。
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@arecole
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2 years
ヒーッてなるくらいの正絹きものの汗💦 が、これが洗えるから大丈夫なんですワー。麻も綿麻もあるけど絹の方がいいときってある。それが洗えるなら、着る機会をぐんと増やすことができる。「きものと絹を日常に」引き寄せることができるの素晴らしい。 写真は洗える絹の御召を作った本人。 #ワタマサ
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@arecole
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3 years
先日紹介した55年前の「きもの事典」は「白喪服」もあります。すでに黒喪服が主流でしたが、早見氏曰く「血族のけじめをつけるためにも喪主側は白喪服を薦めたい」。現代で白喪服はともかく、卒業式でデニムの親がいる昨今。着るものの意味と意義を理解する上で、きものってとてもわかりやすいと思う。
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@arecole
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4 years
「女性の着物は暑いでしょうね」と男性着物愛好者。Tシャツ・短パンや男性着物に比べると暑いかもですが、着た時は着物脳になるので、洋服ではなく着物で比較するんですよね。そうすると脳がだまされて「(絹より麻、襦袢より筒袖、補整なし等)こっちが涼しい」ってなります(笑)。着物マジック
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@arecole
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7 years
装束の着付けをしているとよく聞かれるのが、束帯の「トイレ、どうするの?」。昔は公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)というトイレ専用の役職がありました。貴人が用を足すときに尿筒(しとづつ)を表袴の脇から差し込んで持っているお役。しかも世襲制(笑)。#束帯 #装束 #公人朝夕人
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@arecole
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3 years
auの新しい家族、桃姫のきもの。フリルがカワイイ〜。けど、チッチッ☝️(笑)、昭和も負けずにもっと上いくフリルなきもの、あるんです。衿下までフリル(笑)。 日本の服飾デザイナーの草分けであり、山脇美術学校創設者、山脇敏子氏が昭和28年に発表したきもの。完成度はともかく試みが先進的。
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2 years
すごい才能のスタイリストさんを発掘。 というか普通の会社員で、自分が趣味でこの1〜2年きものを着始めてインスタにアップしているのだけれど、そのセンスたるや、写真の撮り方や構図ともに、才能ダダ漏れ。見つけてしまった感。東京キモノショーで私が監修するテーマでスタイリングを依頼。
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@arecole
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2 years
こういう��の子2人��古写真の説明を見ていると、姉妹となっていることが多い。が、後ろの子はお手伝いさん。着ているものと、立っている位置関係でわかります。そしてお嬢のお人形を持っています。昭和初期。 あと、若い娘とかなっているのでは結構、芸妓さんの場合も多い。理解が違ってきますよね。
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3 years
明治〜大正で疑問だった、ある帯結び。左の大正の婚礼用丸帯を見て合点がいった。重さ2.5kg近く。物理的に結べる帯結びは現代より限られてくるということなのね。右の戦前あたりのものと重さも厚みも全然違う。これを着付師さんが振袖に結べなかったというのは多分結びの種類が違っていたのかな。
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3 years
河出書房から発行された幻の着物雑誌(編集長日比野洋子氏はなぜかきもの雑誌と呼んでほしくないと言っていた)『Le KIMONO』(1984)パリ NY LA 同時発売!バブル期ならではかなあ。創刊号の早川タケジの衣装。和紙で作った着物、いわゆる紙子を絹と組み合わせるセンス。モデル沢田研二!山口小夜子!
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2 years
来週、留袖を着るので妹の分も準備をしているんだけど妹の友禅に比べて私の刺繍留袖、重っ。 中国の人間国宝 蔣雪英の手になるもので見どころのある宝尽くしの刺繍です。久々に黒留袖着られるのでテンション上がってる(笑)。 みんな、結婚式は留袖着よう!(笑)
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3 years
さすが黒澤明の映画では、渡世者の着流しでの動きに切れがある。羽織や袴を着けるとそれらしくカバーできるけど、着流しで洗練された動きができる役者は現代では鬼平吉右衛門と桃太郎侍高橋英樹が最高峰かな。意外だったのが「曇天に笑う」の福士蒼汰がよかった。男物は腰と丹田、大事。腹じゃない。
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4 years
洗ったときに限らず、横着にハンガーにかけたままのきものを着ると空気が含まれて、体につかないのです。ゆえに、一度たたんで空気を抜き落ち着かせて上げると、スッキリした着姿になります。マニアックなようだけど、隠れ技ともいえる事実。
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@arecole
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2 years
とんでもない量の着物を探索。その辺のリサイクル屋さんなんて目じゃない。3部屋で着物帯羽織が目視で2000点以上。個人宅のコレクション。 今回は目的が明確なので5時間かけて200点くらいから40点ほど選んだけど、沼どころか深海に潜った感覚。きものの肺活量は大きいから問題ないけど(笑)。
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3 years
明治は国策として西欧化に励んだ時代。大正浪漫や昭和レトロにばかり目が向きがちだけど明治の底力にも着目してほしい。 あまり知られていませんが、子供女学生はきものでブラウス袖があったり。高畠華宵や水野年方の絵でもフリル袖口。 多分、子供は筒袖という慣いとブラウス袖がマッチしたのかなと。
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めっちゃ見てる猫軍団。
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3 years
和傘逆さまからの『祇園囃子』からの襦袢姿からの、作品中の伊達締めの締め方(笑)。 伊達締め1本だけの人には無理だけど、胸紐と2本使う場合、結び目ができない巻くだけも良き。 それにしても、まぁ、この一連の所作のきれいな事。
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8 months
東京キモノショーは前売り1200円、当日1500円ですが、若い人にも見てほしいので学生チケット(無料)を用意しています。(高校生以下はチケットなしで無料)大学やサークルにはガイドブックと一緒にまとまったチケットをお送りすることができます。お問合わせください。
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いまは男性の黒紋付羽織袴は白半衿だけど、少なくとも明治は白半衿はなし。大正?〜昭和に入ってから男性の白半衿が見られる(混合)。 大正時代に出された和装に関する発令以降なのかしらん。開業記念写真は写真師の履歴より明治25〜35年。2枚目は大正〜昭和初期?3枚目は台紙の特徴から明治中期。
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