Kojiro Kato Profile
Kojiro Kato

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かつて実在したThe cool residence councilという組織の生き残り。本と音楽のことが多い。思い出したようにACIDJAZZのバンドの近況なんかを伝えます。

Here, There and Everywhere
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Kojiro Kato
8 months
2024. Sound memo. 気にとまった音、リリースを楽しみにしていた音など集めたスレッド。 2023
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Kojiro Kato
9 months
2023年はアルバムが豊作だった。 ここから物語が始まるというような新しい創作の元となる作品が多かったように思う。 忘備録代わりに順位とか枚数ととか関係なく、年末頃を〆にしてベストをあげていくゆるいスレッド。
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Kojiro Kato
2 years
クールジャパンを名目にして吉本興業に100億円投入してる。法隆寺は財産難でクラウドファンディングを始めた。何して国をどうしたいのか、よく分からなくなる。
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Kojiro Kato
9 months
渋谷系時代のブラジル音楽と安いアレンジで粗製乱造されるボサノバについてざっくり。
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Kojiro Kato
1 year
ジョアン•ジルベルトがボサノバを発明してアメリカに迎えられ挫折するまでを描いたドキュメンタリー。アストラッドが歌うきっかけもクリード•テイラーの証言付きで語られている。 世紀を刻んだ歌 イパネマの娘~青春のメロディーの栄光と挫折~ 宮沢和史(2000年放送)
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Kojiro Kato
4 months
サーストン・ムーアのアルビニ追悼のポストが読み応えがありすぎて繰り返し読んでいる。出会ってシーンが生まれていく頃のことや彼と対立した経緯について知的な文章で書いてる。アルビニが読んだらなんていうんだろう。
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Kojiro Kato
8 days
高木完さん。呂布カルマの時も、丁寧に諭していたのを見た。コミュニティ全体のことを気にかけ、双方に対してもきちんと説明し、媒介として動いている。それも矢面にたって。その姿勢にはただただ頭が下がる。
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Kojiro Kato
1 year
「イパネマの娘」のレコーディングとその後について書かれている。 スタン・ゲッツはどこを切っても良いエピソードがない。 ブラジルでの悪評価で受けた傷、音楽業界で搾取されて、1987年までレコーディングしなかった彼女の復活をサポートしたのはジョージ・マイケルだったのが意外だった。
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Kojiro Kato
1 year
The sad story of Astrud Gilberto, the face of bossa nova
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Kojiro Kato
2 years
マツケンサンバをクラブでかけることについて考えさせられてしまったのは、元の発信者に楽しければありだと意見している人の大半がクラブとは関係ばかりか遊んだこともない人が無責任に「受ければいい」「楽しければいい」と吐き捨てていることで、平気で文化を底に引きずり落とすことをしてる。
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Kojiro Kato
1 month
フジロックをオーガナイズしているSMASHは1980年代からアトミックカフェをサポートしていて、今もつづけているかから、姿勢ははっきりしている。今に限ったことじゃないけど、ずっと芸能のジャンル、コマーシャルなエンタティメートだけを音楽だと勘いしている人がいる。そういう人に限って声がでかい
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Kojiro Kato
10 years
ライブ会場で日本女性を見つけるなり「お前ちょっと来い」と外に呼び出したバットホール・サーファーズのギビーとポール。レストランへ連行すると涙と共に「ごめんな。日本に原爆を落として本当にごめんな。謝罪の印だ、何でも好きなものを食べてくれ」と食事をおごったそうだ。
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Kojiro Kato
1 month
みんなが影響を受けたであろうクラブシーンのアティテュード、個人的に綴る 矢部直語録 最近、JAZZ DJがドラムンベースをかけてるけど、JAZZは何処へ行ってしまったのか。 「よく聴けよ。ちゃんとスイングしてるから」
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Kojiro Kato
4 years
たまたま入った古本屋の片隅に段ボールに入ったレコードを見つける。ライ・クーダなどギタリストから愛される人たちの作品が50枚ほど。箱で五百円。状態最高。持ち帰り部屋に戻ると急に眠くなり眠る。金縛りになり、どういう経由で古本屋にやって来たレコードか身をもって悟った。 #レコード怖い話
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Kojiro Kato
11 months
フィッシュマンズは稀に渋谷系に分類される。はっきりと違うと言える。意図的に距離を置いていたこと。渋谷系という言葉が生まれる前から存在してその勢いが終わりリアリティが変容していく頃に輝き出した。ずっと狂騒の中にいた僕には気付くことがなかった。 渋谷系とフィッシュマンズに関する事柄。
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Kojiro Kato
5 years
そういえばHIPHOPのリリックにセレブドラッグとも言われるコカインが登場しない。安ドラッグとかそういうのばかり。それが現状なのかと思って聴いてる。NASの「人生はゴミだから俺たちはハイになるんだ」が刺さった時代から、俺が救ってやるという救世主的存在が増えたのはリアリティの変化だろうか。
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Kojiro Kato
9 months
「窓際のトットちゃん」は小学校の頃の読書感想文の課題図書だった。強烈な印象だった。文章に癖というのが見当たらない。徹底的に排除されている。いわば無味無臭で、色彩はあるけど匂いも音もない文章版の沈黙の春だ。なにをしたらこんな文書を書けるのかと感想文に書いたら親を呼ばれた。
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Kojiro Kato
4 years
「イージー・ライダー」の冒頭にレイバンのサングラスを装着したドラッグディラー役で登場するフィル・スペクター。主役の二人を圧倒するくらいの貫禄があった。 20世紀の音楽を作り上げた一人。ポップミュージックにまつわる伝説と狂気を全て孕んでいた一人。永遠に。
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Kojiro Kato
2 years
「Marquee Moon」のアウトテイク入りのCDを聴いたら、アウトテイクの方が整合感があり綺麗だった。だけど、耳に引っかからなかった。ロバート・メイプルソープが撮影したアルバムジャケットの写真をコピーしてわざと汚くして使っていた。そんな普通はやらない美意識を通したから名盤になったのだと思う
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Kojiro Kato
10 years
HIPHOPの専門誌『Blast』では、初期は「日本のユニットを掲載するな」といいうハガキが多く、やがて「日本のユニットをもっと」という声に逆転したが、常に多かったのは根本敬の漫画への「HIPHIPと無関係」「気持ち悪い」という意見だったが、だからこそ頑なに掲載し続けていた。
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Kojiro Kato
5 years
何回も書いているが、いつもZESTのレジに30cm以上はレコードを積み上げて、レコードを持っては「これどんなの?」と言って、店員の説明を聞いて「じゃあ買おう」と袋にして5枚分以上は購入していく人がいた。レジと棚の間をくるくる踊るように動いていた。インパクトが強くて、ずっと気になっていた。
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Kojiro Kato
6 years
80年代にプリンスがコクトーツインズを聴いていて、90年代はタンテーブリストたちがポーティスヘッドのライブに足を運んでいた。ここ最近はフランク・オーシャンが典型だが、The Cureやジョイ・ディビジョンを吸収している。ネットを通じて説が強いが、それ以外のきっかけで出会っていたら面白い。
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Kojiro Kato
2 years
イタリア人が店長を務めるスタンド形式のカフェがありさっと飲んで出て行った。それがかっこいいとか粋だと思っていた。 ある時、店長が血相を変えて追いかけてきた。勘定に間違いでもあったのか? 店長が息を切らせながら話す「あんたいつもダメ。カフェはゆっく飲むもの」。
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Kojiro Kato
1 year
怯えて、ロープから出れずに焦ってると、テリーがしゃがんで、優しい笑顔で頭に手を乗せて、そっと担ぎ上げて外に出してくれた。その後で握手、鍛えた太い指が印象に残ってる。去り際にドリーと二人でサムズアップにウィンク。まさにヒーロー。僕の最初のヒーロー体験がテリー・ファンクだった。R.I.P.
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Kojiro Kato
4 years
UFOの矢部さんが満員のYellowで矢沢永吉の東京をかけた。JazzinだからJazzで踊りに来た人たちばかり。僕もその一人だったが、フロアーを制したというか歌詞が染み込むようだった。ださいとかそういう次元の出来事ではなかった。
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Kojiro Kato
5 years
デヴィッド・モラレスの来日パーティに遊びに行った。一緒にいたグループの一人が「ヘンな人にナンパされて困ってる」という。とんでもない奴だ何か言ってやると、そのヘンな人のところに連れて行ってもらったら、モラレスさんその人だった。
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Kojiro Kato
1 year
小学生の頃に全日のプロレス会場に早く着いて、中に入るとリング設営中のスタッフにひどい勢いで怒鳴られ、場内をうろつくレスラーも同様で怖くて、そんな中で入場用ロープがはられて閉じ込められてしまった。歩いてくるのは、ドリーとテリーのファンクス。これまでの展開から殺されるのではないかと
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Kojiro Kato
6 years
ミュージックライフのクイーンのムックを1冊持っていた。音楽とは関係のないトピックが多いが、ムックを買うファンが知りたい情報で、音楽をより聴きたくなるし、なにより本当に密着していてライブはもちろん、街や他の場所でのライブ感が紙面中いっぱいに踊っている。
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Kojiro Kato
10 months
KANさんがクラブのスタッフだったと後で聞いてびっくりしことがある。経歴には「玉椿」と出ているけど、僕が聞いたのは別なクラブの名前だった。DISCOと言っていいのか僕自身も判断できない(328は確実に違う)けど自曲の歌詞にいろんなクラブの名前を連ねている。
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Kojiro Kato
1 year
2001年前に作られた音楽機器が販売できなくなるというバカげた法律•政府と戦って電子・電気楽器を救ってくれた。 「音楽の発展に支障」 坂本龍一氏らがPSE法緩和を求め署名活動
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Kojiro Kato
1 month
少し覗いたら、影響を受けたどころかいつも本気で接してくれた矢部直さんの訃報が目に入って、心臓がばくばくしている。僕の世代のDJで矢部さんに叱咤されてない人はあまりいない。クラブシーンの本気で底上げしようとしていて、みんなを仲間だと思っていた故だろう。もう一回くらい叱られたかった。
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Kojiro Kato
5 years
妹が登校拒否になってた時期があり、その時に励ましの手紙を書いて定期的に文通してくれてたのが本田美奈子さんだった。兄でさえ遊び呆けている時に。全くの他人なのに。会ったことはもちろんないけど、ただただ感謝しかない一人である。
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Kojiro Kato
6 years
ノーザンソウルを観て思い出したこと。HIPHOPにしてもレアグルーヴのDJにしても、レーベルを隠していた人もいてネタバレを嫌っていた。時代が変わってもコンピレーションDJと言ってコンピから選曲してる人を低く見てる人もいた。DJがガイド本を出す頃には、この価値観は既に風化してた。全ては突然に。
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Kojiro Kato
5 years
ACIDJAZZについて、十把一絡げになって理解されようとしている感じがした。ごく初期においてはロンドンのレアグルーブやジャズやソウル、ネオモッズのシーンが交差していたが、ジャイルス・ピーターソンとエディ・ピラーが言葉のままに袂を分かちあってからは多く異なる。ざっと図にしてみた。
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Kojiro Kato
5 months
Soul Jazz Recordsのコンピレーションシリーズの中で4時間のDVD付きでリリースされた「STUDIO ONE」を手にした時に、音の��景まで伝えようとする強い熱意が感じられて、このレーベルは別格だと思った。
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Kojiro Kato
4 months
「それは人類が初めて月を歩いた夏だった」という書き出しから始まる小説を読んでオースターは僕にとって特別な小説家となる。それまでは「無」を描くのが得意な実験的な現代小説家でしかなかった。「あの頃の僕は窮地に陥っていて、全てが苦い思い出でどうでも良かった」(アズテックカメラ)の歌詞を
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Kojiro Kato
4 years
ここ数日、ジャミロクワイの遭遇率が高い。ハンチョウさんたちも好きなのか。世代的に近いのか。
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Kojiro Kato
4 years
DJ BAR INKSTICK渋谷のブースの床が板張りで、板と板の隙間が縦にすると、ちょうどレコードが落ちていくような幅だった。僕は大丈夫だったけど、スカの7"で数万円のが落ちていったという話を聞いていたので怖かった。 #レコード怖い話
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Kojiro Kato
4 years
情熱と勢いでAcidJazz(会社)に出向きスタッフとミュージシャンと仲良くなって、スタジオの録音風景を撮影してきて「撮ったけどどうしたら良いか分からなくて」と「Bar-f-out!」編集部に写真を持ち込んできたのが美大生時代の長島有里枝さんだった。
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Kojiro Kato
3 years
マツケンサンバがサンバじゃないと話題になっているのを知らなかった。「てんとうむしのサンバ」はサンバじゃないし、「すにーかーぶるーす」はブルースではないし、要はそんな歌謡曲ワールドを隣り合わせにして生きてきたから、あれがマツケングライムであろうが何ら違和感はない。
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Kojiro Kato
3 months
スマホやiPhoneに初期設定としてマイナンバー機能が搭載される。 実際は拘束と監視である。国民に笑顔で発表するような明るい話題なのか? 政府が発表することがことごとくディストピアを描いた喜劇の中のネタのように思える。
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Kojiro Kato
2 years
それが元で友人だったメイプルソープが激怒して絶縁することになる。 トム・ヴァーレインのインタビューもロックスター的な大言壮語とは無縁で大好きだった。 再結成の理由もジョークか本気か「家賃の支払いがあって」と答えていた。 安直な成功コースに乗らなかったし、無縁な人だった。
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Kojiro Kato
4 years
なんのイベントか忘れたけど第一期の後期レッドシューズで僕がレコードを持って行ってブースに入ると明らかにそこにいた人たちの雰囲気がヘンで。何かに当てられて放心状態でほわーとしているというか。何があったのか聞いたら原田知世さんがきて数曲DJをして帰った後だという。
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Kojiro Kato
6 years
サニーデイ・サービスの新しいアルバムは、フランク・オーシャンや2010年代に出てきた新鋭の作品と並べて聴ける作品だけど、その中で突然、「甲州街道の十二月」のようなきらきら景色の曲が入ると切なさをかきむしられて泣きそうになる。景色が通り抜ける時の瞬き。
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Kojiro Kato
5 years
表参道にスカの専門店があり、それでレコードを漁っていると向かい側に180cm後半の俺よりもはるかに長身の男がいた。見たら見下され威圧された。どうなるのかと思ったけど、プロレスラーの高山善廣はレコードを数枚買うと静かに出て行った。 #本当にあったレコード屋怖い話
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Kojiro Kato
1 year
ジョアン・ジルベルトはスタン•ゲッツから英語で歌うように言われたけど、ボサノバはポルトガル語で歌うものだと拒絶した。スタン•ゲッツのことが好きじゃなかったかもしれない。代わりに英語で歌ったアストラッド•ジルベルトが世界中でヒットして、ジョアン•ジルベルトはブラジルへ戻った。
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Kojiro Kato
7 years
あり得ない。youtubeの横にリンクが出ていた。この音をアップした人にノーベル賞を上げて欲しい。来日公演の音は他にも上がってる。 Corduroy — Something In My Eye [Live In Japan 1994] @YouTube さんから
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Kojiro Kato
3 years
オリンピックは開催国がどんな国なのかという広報効果も兼ねているらしい。今の日本がどんな国になっているのか、舵取りしている政治家がどんな施策を行うどんな人間であるのかオリンピック報道という形であらゆる国や地域に日々拡散されている。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
3 years
月並みだけど、映画『さらば青春の光』のクラブの場面でロネッツがかかっていたのは上がってしまった。そこにいたかった。クラブでかける人は、半分以上はあのシーンへのオマージュとか再現とかなんじゃないかな。さようならロニー・スペクター。
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Kojiro Kato
2 years
真剣に繰り返す。「カフェはゆっくり楽しむもの。急いじゃダメなんです。それをわかって欲しかった。わかってくれてよかった」と店先に出て手を振ってくれた。 たまに見られたら怒られるような早飲もしてるが、以来なるべくゆっくり飲むようにしてる。 本来は世知辛さとは無縁のものである。
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Kojiro Kato
5 months
Georgie FameのSpotifyページに、彼が影響された音楽を並べたプレイリストを見つけた。クールで軽快でスタイリッシュな音の源流。本人セレクトだったらいいな。10代の頃にこんな風にジャズやR&Bに出会いたかった。より夢中になってただろう。 Georgie Fame: The Influences
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Kojiro Kato
1 month
レアグルーヴと言われるレコードを探すようになって、Roy Ayers Ubiquityのクレジットにフィリップ・ウーというアジア系の奏者の名前を見つけた。それがメイズの名盤ニューオリンズライブにも名前を連ねていて、James Mason「Rhythm Of Life」にもクレジットがある。
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Kojiro Kato
5 years
そんなある日のこと、 編集部のメンバーと遊んだ何かのイベントの帰りに渋谷の桜ヶ丘側の歩道橋の上で一緒になった。 他に仕事をしていたので合流が遅れてて、余り編集部に顔を出せないでいたらしい。 そこで初めて口をきいた。彼は握手を求める手を差し出して言った「初めてまして北沢夏音です」。
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Kojiro Kato
7 years
先を行見越したブランド展開  #全くインスタ映えしない風景写真選手権
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Kojiro Kato
1 year
ジャー・シャカを知るきっかけは、路上のフリーマーケットで、恐らくヒッピーだろう人がアクセサリーと一緒にジャー・シャカのライブのテープを売っていた。どんな音か聴くと「スピリチュアルダブ。最高の体験」という。買って聴いたら、その通りだった。
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Kojiro Kato
1 year
The sad story of Astrud Gilberto, the face of bossa nova
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Kojiro Kato
1 year
「イパネマの娘」のヒットの中でジョアンはブラジルに帰り、離婚した。アストラッドはずっとジルベルト姓を名乗った。彼女の話はあまりに少なく、どんな気持ちを抱えていたのかわからないが 「アストラッドは星になり、ジョアン・ジルベルトの隣にいます」 とアストラッドの孫娘がインスタに書いていた
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Kojiro Kato
6 months
初期のベン・ワットを彷彿させるFamily Stereoを気になって調べていたら、Blake Wattによって2018年に結成されたバンドだとわかった。ん? Watt? 年齢的にももしかしたら?
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Kojiro Kato
7 years
日本製のジーンズはいつまでも履けてだんだん青が鮮やかになる。僕たちの関係もそうだと思っていたというハートブレイクもので、主人公が木にぶら下がった状態で歌っている。この辺り、ちょっとあざとい感じもするけど、小説的な題材と構図で良く出来た現代文学の短編を読んでるような感じがする。
@Kojiroad
Kojiro Kato
7 years
Daniel CaesarのJapanese Denim #NowPlaying
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@Kojiroad
Kojiro Kato
2 years
渋谷系インスパイアポップスは存在した。ぼやかしばかりでわかりにくいことはご了承くださいということで話を始める。あるインディーレーベルに名前をつけてくださいなどというメジャーレーベルからの接触があり、その断り方が後に続かないようなきっぱりした断り方で、断絶していたと言ってもいい。
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Kojiro Kato
9 months
Nujabesの本名は瀬葉だと言ってる人が多くいて、本当は山田なのにwikiまで瀬葉になっていて、でも言っていいものだろうかとやきもきしていたけど、この記事で橋本さんが公言したのを読んでほっとしたのだった。
@flows_jp
flows
9 months
Nujabesの本質に迫る貴重な記事。 逝去するまで一切の宣伝活動を避けて音楽のみを届けてきたNujabes。 関係者の証言からは謎に包まれた、その人物像を伺うことができます。
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Kojiro Kato
5 months
TFG、オリジナルラブ、ピチカートファイブという中心人物と括られる人たちも、僕みたいな一人の音楽ファンも、街のレコード店で新譜や旧譜を漁り、クラブで遊んでいたから、見ていた風景や浴びた空気は同じだ。見方はやや違うかもしれないけど。自然発生的といわれる所以だ。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
1 year
当然、僕も。この号を読んで、当日原稿の持ち込みなどをしていた『iD Japan』の編集者に気が合うのではないかと勧められて、駒場東大前の編集部兼山崎さんの自宅を訪ねた。しばらくしたら一緒にやるようになっていたのが、信じられない。 そういうことが起こり得た時代。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
2 years
技術を持った大企業(シャープとか)も政府は守らなかった。技術という資源が海外資本企業へ流れた。60年代に企業を守る取り組みをした英国が80年代まで続く「英国病」という不況を招いたから、何が正しいかはわからないが、未来につながる資源が乏しい国になってしまった。浪費を促す政策を連発して
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@Kojiroad
Kojiro Kato
3 years
佐野元春さんの『ハートランドからの手紙』のブルース・スプリングスティーンの記事。HIPHOPの隆盛を予見している。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
1 year
クラブはこんなところではなく平和な場所の方が多い。それは努力している人間もたくさんいるからだ。それは知って欲しい。平和な空気感や解放感にかっこいい音をいろんな人が楽しむ場であれと願う。 これは女性に手を出したり最低すぎる。こんなの誰が喜んでるんだ?
@FSL_japan
FSL|FREE STYLE LEAGUE
1 year
/ MC BATTLE発のHIPHOPスター発掘企画 #FSL トライアウト 公開まであと3日! \ 人生を変えたい奴らのFSL出場を賭けた戦い...!! FSLトライアウトは公式YouTubeチャンネルにて7月28日公開予定! ▼チャンネルはこちら
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@Kojiroad
Kojiro Kato
2 years
国葬の選曲…… どこの国なんだ?
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@Kojiroad
Kojiro Kato
4 years
ビッグネームになり世界中のフェスに出るようになってからも、一枚一枚値下げ交渉するDJ Shadow氏。 #レコード怖い話
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@Kojiroad
Kojiro Kato
23 days
同じ渋谷だけど109文化と渋谷系は混じり合わなかった。SWVやアリーヤにローリン・ヒルがいた時代。聴いてる音は被ってたけど両方好きな人は余りいなかった。隠れて聴いていたのかもしれない。LOVE TAMBOURINESはインディのユニットだけどどちらの層にも聴かれていた。インディのユニットにも関わらず。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
6 years
このインタビューのテープ起こしをしたことを思い出した。渡されたテープは120分テープ2本だった。小山田さんの自宅で録られた。僕がすごいと感心してしまったのは、インタビュー中に常にギターを爪弾く音が途切れることがなかったこと。間の合間にもその音は聴こえていた。
@getbacksub
北沢夏音 Kitazawa,Natsuo
6 years
懐かしい‥❣️Bar-f-out! Vol.2(93年)巻頭インタヴューの写真(撮影・西川慶)。別頁の小山田君の飼い猫の写真も好き。「記事はQ&Aじゃなくて語録形式にしようか」と提案したら即答で「それがいい」。この頃は打てば響くようなやりとりができた。 #50 歳おめでとコーネリアス
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@Kojiroad
Kojiro Kato
8 months
3.11はもっと人も世の中もおもいやりがあったように思う。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
5 years
最後に話をしたのは、3年前になる。Disc Shop Zeroで日本の面白いディスクを何枚か教えてもらった。最初に話をしたのは90年代の初めの頃、Zeroが江古田にあって、彼がフリーペーパーを作って、下北沢のZooに入り浸っていた辺りになる。バンクシーと繋がる数少ない人間ということは信頼されたんだろう。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
1 month
矢部直さんと出会ってなかったら、僕はダメをダメと思わないまま生きていったのかもしれない。プライドという大切なことを与えてくれ、気付かせてくれた人だ。いつも姿勢を正して��らって、面倒ばかりかけていて、感謝しか出てこないな。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
7 years
渋谷系とニルヴァーナの共通のルーツがパステルズ。後の世代やロックジャーナリストの人にも信じて貰えないけど。 The Pastels - Million Tears @YouTube より
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@Kojiroad
Kojiro Kato
7 months
国会議員が「教育勅語」を学校や家庭でしっかり教えることとポストしている。国会議員なのに「教育勅語」が教育の場からなくなった過程を調べ検証もせずに。国の乱れは「教育勅語」ではなく、こんないい加減な国会議員の偏見や差別や思い込み発言へ共感する意識の土壌やら背景ではないか。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
2 years
再び、店に連れて行かれ 「お代はいいからゆっくり飲んで」ともう一杯差し出してくれた。 「ゆっくりゆっくり」と真剣に凝視してくる店長を気にしながら飲んだ。「いまのいいですね、今度はゆっくり飲んで」と監視なしで、本当にゆっくりと飲んだ。 「飲みました。ごちそうさま」といというと
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@Kojiroad
Kojiro Kato
5 years
渋谷系とは山家の夜の風景だとはっきり定義できる。雷家族、ブッダ、ロンナイ、ザ・ルーム、インクのスタッフがたまたま同じ時間に居たことがあり、俺は山家のおばちゃんの客捌きと度量の広さをその夜から尊敬するようになった。楽しい夜だったと記しておく。まだまだ濃い夜は存在してたであろう。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
6 years
ガリアーノのことを書いたテキストは初めての記名入り原稿となったから思い入れは特別深い。彼らとここまで意気投合したのはジャームッシュ映画が好きな新しい世代のビートニクだったからだ。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
7 years
ギンズバーグの「友人との雑談こそ最も豊かな内容を持っているのに、どうして皆できない?」との問いは『Bar-f-out!』に寄せられたアドバイスだった。初期の頃はアレンに雑誌を送っていた。届いた雑誌に目を通してもらってアドバイスまで返してくれた。何時の間にか送る習慣がなくなってしまった。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
9 months
マイナンバー制度が始まって国民に番号が振り分けられた時に、 18番にこだわる江夏豊が役所に抗議したという話が出回ってて、それだけは面白かった。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
5 years
渋谷陽一の方法論、方法論というレベルではないので手口とする。 ライブハウスや現場で熱いときにはぜったい触れない。 そこから2週くらいした時点で触れるのは、レコード会社からプレスリリースと共にプロモが到着してから反応するためか、 世間の反応を見てから腰を上げるからかは知らない。
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@Kojiroad
Kojiro Kato
4 years
ダフトパンクのトーマスが運営していたRouléというレーベルは好きなレコード、審美耳があるのか流行り廃り関係なく聴き続けることができるダンスミュージックが多い。見つけるとサルベージしてる。 Romanthony -Hold On VOCAL HOUSE CLASSIC @YouTube より
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Kojiro Kato
3 years
"前回の開催地の人たちからすれば、「不況の起爆剤」というイメージの方が強い。" コロナが世界に蔓延する前の記事。
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Kojiro Kato
5 months
「バァフアウト!」は提供されたアー写を意地でも使わずに小さな記事でもカメラマンと打ち合わせして、現場に同行して、オリジナルな写真にこだわっていた。その熱量が誇りであり好きなところだった。 月刊ペースで少ないスタッフで無茶してたと思う。
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Kojiro Kato
3 years
江夏の21球 #宇多田ヒカルの歌詞に出てこない単語
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Kojiro Kato
6 years
日本ではネオモッズの諸氏がノーザンソウルをフォローアップしていた。AcidJazz経由でモッズとノーザンソウルは仲が悪いとも言われ、またジャズダンサーはノーザンソウル由来とも聞いていて、正解は一体どれだといつも頭がぐるぐるしていたが、映画を観たらたしかにモッズとは慣れ合わなそうだと思った
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Kojiro Kato
3 years
イーロン・マスクとグライムスの馴れ初めを何度読んでも凡人のわたしには感覚的に理解できないのだった。
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Kojiro Kato
2 years
Manuel Göttschingが亡くなっていた。最初に耳にしたのは、この曲からで、「remix」誌で原曲を知った。プログレ好きの編集者が原曲に行き着くのは容易だったように思える。ダンスミュージックとして解釈したラリー・レヴァンも、あとで知って驚いたゲッチングもどちらも天才
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Kojiro Kato
1 month
「最近はバァフはどう?」 方向性が見えなくて。 「(怒)お前誰だ?」 は? 「お前は誰だって言ってんだよ。お前はバァフじゃないの? じゃなかったら誰なんだ? お前が方向を見失ってるってことだよ。自分が誰だかわかってないから方向を見失うことになってるんだよ」
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Kojiro Kato
5 years
Mother Earthの新作とライブのことを元アシッドジャズとMOMUSICでスタッフをしていた方が伝えている。バンドや参加メンバーのことをずっと近くで見ていた人の文章だけに愛がある。ミック・タルボットさんがメンバーになって、自然体のファンキーなロックを演奏している。
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Kojiro Kato
1 year
この夜にここにいてよかった。 そして、この夜をきっかけに面白いことも起こりそうで、理想的なクラブの一夜となりました。 夜を共に過ごした皆さまありがとうございました。
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Kojiro Kato
26 days
90年代はTLCの全盛期だった。ポップでクールでスタイルから音楽まで新しさでコーティングされていた。同時代に同じ空間に存在していたけど渋谷系とはうまく交わらなかった。交差していたら楽しかっただろうな。聴いてた人もいたしと、当時を振り返りながらプレイリストを聴いている。
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Kojiro Kato
7 years
ジャミロクワイのシングルの衝撃は最近で言えばジェームス・ブレイクが登場した時と同じくらいの衝撃で、同じ頃にアレステッド・デペロップメントのシングル群も全て圧倒的だった。ソウルとファンクへのポジティブな帰還、どこかアーシーな音。音の向こうに見える風景が一緒だった。。
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Kojiro Kato
7 years
Arrested Development - Tennessee @YouTube さんから
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Kojiro Kato
25 days
ペイル ・ファウンテンズがジョン・バリーから影響を受けていると公言していて、国内盤中古でもジョン・バリーは探しやすかったけど、そこからペイル・ファウンテンズ要素を見つけるのは難しかった。微な取り入れ方だったということもあるけど。 Love's A Beautiful Place
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Kojiro Kato
1 month
突然、ジェフ•ミルズの奥さんを紹介してくれた。矢部さんと3人でBlueというクラブのラウンジスペースのテーブルについた。「お前、なんか聞けよ。せっかくだから」と言うものの、ひとすらシュールな時間が流れるだけで、それを苦笑して肩をぽんを叩いた。しっかりしろよという意味だったんだろうな。
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Kojiro Kato
5 years
90年代の初頭にプライマル・スクリームの「Come together」体験をした。フロアーでも良かったし、部屋でも良かった。英国のインディーズ音楽に夢中だった人間がセンシティブな部分でつながりたいと思うようになった。その後に体験するこの曲。歌詞、フィーリング共に必然的に染み込んでくる。
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Kojiro Kato
5 years
萩原健一(ザ・テンプターズ)/エブリバディ・ニーズ・サムバディ Everybody needs somebody (1969年) @YouTube より
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Kojiro Kato
1 year
THE MODSの森山さんは良くクラブで見かけた。特にロンナイや系統のイヴェントで。背筋がピンと伸びて姿勢が良くて、箱に入ってきた時点で目立つ。威圧的な感じはなくて、仲の良いDJと笑顔で会話したりしてた。あとはフロアーに溶け込んでいたから、完全にクラブの人でもある。
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Kojiro Kato
7 years
めかぶが茹で上がる。東日本大震災語に市場から姿を消してたこともあり、この時期のめかぶは特別な味がする。復興の味というのか。ご飯に乗せて白だしと酢をかけて食べるのが最高。ねばねばと海の風味が鮮烈で美味しい。
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Kojiro Kato
22 days
これからレコードを買う量が倍になってしまった。 #あなたの軸となるアルバムを教えてください
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Kojiro Kato
4 years
フィリーソウルと歌謡曲の融合に成功した鬼才。 このアレンジなんてとんがりまくってて狂ってるんだけど、大衆歌謡として成立してる。「今夜はドント・ストップ」の早すぎたサンプリング。またはサルソウルオーケストラ。あり得ないバランス。
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Kojiro Kato
1 month
ファラオ•サンダースのインタビューで何も言えなかったことをラファエルから聞いて、編集部に来た。失敗を恐れて積極的にいかなかったことをひどく怒られた。いちばんに切り込んで失敗してもいいんだよ。恐れて消極的になって何やってんだて、それだけのために来てくれたのだった。
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Kojiro Kato
9 months
癖を排しているのがいわば癖で、背景もあり、いわば手練れで文章を書き慣れている職人の姿が浮かび上がる。ビートたけしがなんかのゴースト問題の時にかんかんに怒っていた「ゴーストがゴーストだといったらいけない」と。そういえばあんなに癖に満ちたたけしの「たけしくんハイ」も何故か癖がない。
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