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1945年3月23日から9月7日までの「今日の沖縄戦」を毎日配信する「シリーズ沖縄戦」です。今年もTwitter/Facebookで配信予定。 まずはトピックだけ読む、から初めて、目次で読みたい項目をクリックし選んで読む、あるいは一番下の項目「そのとき、住民は」から読み始めるのがお薦めです。
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金武飛行場と失われた町 / 久米島住民虐殺 一家7人の皆殺し / 隊長たちと「戦後日本」 / 沖縄諮詢会の発足 米軍の動向 金武飛行場と海軍建設大隊 第32軍の敗残兵 久米島住民虐殺事件 ④ 谷川一家7人虐殺 隊長たちの「戦後日本」 そのとき、住民は・・・ 沖縄諮詢会の発足 米軍の動向 金武飛行場と海軍建設大隊 現在、…
摩文仁の占領 / 沖縄の少年兵 / 包囲の摩文仁司令部壕と送別の宴 / シーガーアブの土 / 追われる女子学徒 / 「うつろな目の少女」/ 日本兵に殺される 米軍の動向 米軍「沖縄作戦」次の段階へ 南進する米軍 - 摩文仁の丘の攻略 米軍が捕虜として記録した沖縄の少年兵 第32軍の動向 米軍に確保される摩文仁 摩文仁軍…
ジェイムス・フォアマン (1928-2005) 沖縄という悪夢 「占領者」ということ 本部半島の「本部飛行場」と第822工兵航空大隊 レイシズムとセクシズム 占領下の沖縄に奴隷制を見る 軍における人種隔離制度の撤廃 1948年7月、大統領令9981 本部の人種隔離部隊から那覇の白人部隊へ 占領と奴隷制 人間の頭の中だけ…
ごあいさつ シリーズ沖縄戦 - 全リスト 第32軍の創設 (1944年) 艦砲射撃(3月23日~3月25日) 慶良間列島の戦闘(3月26日~3月31日) 米軍上陸(4月1日~4月4日) 嘉数高地の戦闘 (4月5日~4月24日) 津堅島の戦闘 (4月10日~4月25日) 伊江島の戦闘(4月16日~4月21日) 小波津の戦…
シュガーローフの戦いが始まる / 小禄海軍の抽出 / 今帰仁の虐殺 / 渡野喜屋の虐殺 米軍の動向、総攻撃2日目 シュガーローフの戦い (5月12日-18日) 第32軍の動向 第32軍司令部の焦り 小禄半島の海軍司令部 - 首里戦線への抽出 今帰仁村の住民虐殺と殺害リスト 大宜味村「渡野喜屋の住民虐殺」- 住民35人の…
1945年4月28日 - 沖縄戦と米軍基地の建設 1952年4月28日 -『屈辱の日』 2013年4月28日 - 安倍内閣『主権回復の日』祝典 2016年4月28日 - うるま市女性殺人事件 そして、問われる今 4月28日が「屈辱の日」と呼ばれるのは、沖縄が日本から分離されたからではない。そうではなくて、日本が今も変わ…
アメリカ世(ゆ) / 米軍記録 摩文仁司令部壕の最期 / 司令部壕、最後の晩餐 / 死者の畑 / アダンの陰に 米軍の動向 アメリカ世(ゆ)の始まり 掃討作戦の始まり 摩文仁の司令部壕 - 牛島・長両将軍の最期 第32軍の動向 摩文仁の司令部壕 - 馬乗り攻撃をうける 摩文仁の司令部壕 - 最後の晩餐 日本兵の行動 そ…
阿嘉島の野田隊と食糧問題 / 喜屋武岬の終わらぬ戦場 / 轟の壕からの住民救出 / 宮城嗣吉夫妻 米軍の動向 掃討作戦 阿嘉島 - 日本兵と民間人捕虜の収容 第32軍の敗残兵 喜屋武岬で生きのびる そのとき、住民は・・・ 轟の壕 - 日本兵に閉じ込められた住民 宮城嗣吉夫妻の脱出と救出活動 轟壕の避難民、約600人の救…
参謀たちの脱出 / 復讐という名の住民虐殺 / ひめゆり解散という名の追い出し / 女子学徒の処刑 / 摩文仁の死の道 米軍の動向 新・第10軍司令官 - ガイガー少将 南進する米軍 - 最後の追い込み 復讐という名の虐殺 (2) - 国吉・真栄里の虐殺 第32軍の動向 摩文仁の司令部壕 - 「無敵皇軍参謀」最後の姿 …
阿嘉島の投降交渉 / 久米島の最初の犠牲者 / 彷徨うひめゆり学徒 / ハワイへの捕虜の移送 / 本部半島住民の強制移送 米軍の動向 〝沖縄〟という米軍基地の建設 第32軍の敗残兵 阿嘉島での投降交渉 - 染谷少尉の活躍 久米島鹿山隊住民虐殺事件 ① 有線電話保守係の虐殺 摩文仁の海岸 - さまよう「ひめゆり学徒」 ハ…
鎮台 (基地) をおけば外国から武力で強要される 1879年3月27日 『琉球処分』 今も変わらぬ「処分」という「眼差し」 首里城正殿に立つ熊本鎮台分遣隊の歩哨 : 那覇市歴史博物館 1879年のきょう、3月27日 日本政府から派遣された内務大書記官松田道之は、警官160名、熊本鎮台分遣隊400人 (日本陸軍の部隊) …
沖縄の「沖縄返還」とは 1971年6月17日 ~ 沖縄不在の「沖縄返還協定」調印式 沖縄を排除した沖縄返還交渉 - その驚きの内容 A表のごまかし B表・C表のごまかし C表のごまかし 1971年、琉球政府の『建議書』策定 1971年11月17日 ~ 沖縄不在の返還協定「強行採決」 午後3時14分の「不意打ち強行採決」…
鹿山はどこからやってきたのか 16歳の彼女は「現地妻」ではなく、被害者だ 「現地妻が告白する『沖縄の怨』」『サンデー毎日』(1972年6月4日) どのように少女は軍に「徴発」されたのか 6月26日、久米島上陸と鹿山の暴走 苦しみぬいた戦後 1972年、久米島事件の注目の中で 日本人は勝手さ - 戦争時代のことは無かった…
故郷にもどってきた獅子 沖縄公文書館所蔵の三枚の写真 2022年11月 - 「鳥肌が立ったんですよ」16歳の発見 2023年5月29日 - 78年ぶり、獅子の帰還 1945年5月29日 - 首里占領からちょうど78年目 実はもう一枚、獅子頭の写真が・・・ 故郷にもどってきた獅子 沖縄公文書館所蔵の三枚の写真 沖縄県公文…
普天間飛行場の完成 / 軍のための性病検査 / 軍支給の「突撃一番」 / 慰安婦として補助看護師として / 兵70人に一人 米軍の動向 普天間飛行場の完成 投降を促すビラ 沖縄の朝鮮人慰安婦 「朝鮮人慰安婦」の定期検診 日本軍の慰安所建設 日本軍支給の慰安券と避妊具 日本軍の慰安婦として、また補助看護婦として 米軍が記…
掃討作戦 / 牛島司令官の最期 / 学徒への斬り込み命令 / 本当の勇気 / 生と死の淵で 米軍の動向 三段階の掃討作戦計画 第10軍司令官交替 - スチルウェル陸軍中将 各地で進む基地建設 第32軍の終焉 6月23日午前4時30分 - 牛島・長両将軍の最期 県立工業学校 - 斬り込み命令 そのとき、住民は・・・ 投降…
翁長安子さん 特設警備第223中隊 「永岡隊」 5月29日頃 - 安国寺壕の最期 たったひとりの南下 - 日本兵にスパイと疑われ 轟の壕とマヤーガマ - 6月22日の投降 収容所生活と強制移住 石川収容所と瀬嵩収容所 米軍の那覇占領と真和志村の強制移住 - 糸満「魂魄の塔」 若い世代に伝えたい事 翁長安子さん 県立第一…
特攻隊を「散華」と記述する「教科書」が出現 「散華」とは 戦時レトリックとしての「散華」 「玉砕」と表現された「全滅」 「散華」と表現された「自爆」~「自爆散華」 米兵のみた「特攻の死」の現場 日本で今も見て見ぬふりをされる特攻の現実 特攻隊を「散華」と記述する「教科書」が出現 2024年、特攻隊員が「散華した」と記述…
防衛第2線へ / 日系・沖縄人系の語学兵 / 津堅島前夜 / 伊江島の収容所 / 伊江島の慰安所 米軍の動向 南進する米軍 - 首里の攻防第2線 日系・沖縄系の語学兵 - MIS 比嘉武二郎 坪田テリー輝人 (Tubota Teruto) 第32軍の動向 北部戦線: 第3遊撃隊と国頭支隊 津堅島の戦い 津堅島: 球師団…
沖縄の戦時性暴力についての覚書 地元住民を物色する兵士たち 日本軍と慰安所 日本軍は沖縄にたくさんの慰安所を設立した 日本軍は「慰安婦」を「看護助手」として従軍させた 日本兵による強姦事件 戦局が悪化すればするほど、日本兵による強姦事件も増えた。 住民に向かう日本兵の強奪、強姦、殺害。三つが常に隣りあわせ。 米兵による…
日本軍にとって「スパイ」とは誰だったのか 1944年11月18日 - 「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」 1945年3月12日 - 特務機関「国士隊」結成 1945年4月9日 - 沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜 沖縄人というだけでスパイ 沖縄人だというだけで「スパイ」 笑っただけで「スパイ」 外国語を喋るだけで「ス…
「徹底的に攻撃せよ」/ 首里司令部壕の撤退 / 将校の荷物運び / 永岡隊 / 負傷兵の運命 / 海軍記念日の小禄海軍 / 住民を襲撃する日本兵 米軍の動向 首里に迫る米軍 - 徹底的に攻撃せよ 第32軍の動向 首里撤退 - 第32軍司令部の退却 第32軍の荷物運び - 沖縄師範学校・水産学校の学徒隊 郷土部隊「永岡隊…
伊佐浜ターブックヮの戦後 米軍の強制接収 1954年7月14日の植え付け禁止令 女たちが立ちあがる ブルドーザーで破壊された人々の暮らし 7月19日、伊佐浜に「進軍」した米軍 再びすべてを奪われる。 住む場所を奪われて、インヌミヤードゥイへ ブラジル・ボリビアへ渡った伊佐浜の家族 キャンプ瑞慶覧 (キャンプ・フォスター…
小禄の包囲 / 八重瀬岳 / 竹やり部隊 /「沖縄県民斯ク戦ヘリ」 / 壕を奪われた住民 米軍の動向 雨と泥との闘い 「泥将軍」 後方で進む基地建設 小禄半島上陸: 3日目 - 狭まる包囲網 南進する米軍 - 八重瀬岳 第32軍の動向 包囲された小禄の海軍 最期の電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ」 沖縄戦当時の沖縄デマと中傷 …
勝連半島の基地化 / 北部掃討作戦の終了 / 8月4日のコザ孤児院と子どもたち / 孤児院の囲い込みとネグレクト 米軍の動向 勝連半島の基地化 - 水上機基地 北部掃討作戦の終了 第32軍の敗残兵 師範鉄血勤皇隊 - 再び北へ そのとき、住民は・・・ 軍政府と「孤児院」 コザ孤児院 田井等孤児院 百名孤児院 軍政府の囲…
1944年3月22日、第32軍 (沖縄守備軍) の創設 1944年4月22日 「津嘉山司令部壕」の建設開始 沖縄「不沈空母」構想 - 飛行場の建設 沖縄に建設された日本軍の飛行場 1944年11月17日 「第九師団」の転出 1944年3月22日、第32軍 (沖縄守備軍) の創設 1944年3月22日 大本営が第32軍 …
1945年6月3日、米軍が伊平屋島に上陸 1947年、米軍ヒ素が家族を襲う 米軍基地は最大の環境破壊者 垂れ流しの米軍 調査させない米軍 金も払わない米軍 そして国民の無関心 伊平屋島と伊是名島 Hyperwar/USMC/V/USMC-V-II-10.html 1945年6月3日、米軍が伊平屋島に上陸 1945年6月…
午前11時20分 沖縄の終戦 - 琉球列島降伏調印式 / 鹿山隊の投降 / 「なぜもっとはやく」 / なぜ沖縄戦を語るのか / 沖縄戦とは何だったのか 第32軍の降伏文書調印式 9月7日午前11時20分、琉球列島の「降伏調印式」 陸軍か海軍か - ゆらぐ沖縄占領 第32軍の敗残兵 久米島: 鹿山隊(隊長: 鹿山正 海軍…
日本軍のインテリジェンス分析 / 天願桟橋 / 日本軍とマラリア / 陸軍中野学校と離島残置工作員「山下虎雄」 米軍の動向 日本軍のインテリジェンス分析 米軍基地の建設 マラリア防疫隊 - マラリアとは 日本軍と「戦争マラリア」 「戦争マラリア」とは 波照間の離島残置工作員「山下虎雄」 そのとき、住民は・・・ 八重山の…
22時12分、攻撃された疎開船 / なぜ疎開命令が出されたのか / なぜ緘口令が敷かれたのか / 生き残った者たちの苦しみ / 「海の戦場」に送り出された子どもたち 概要 - 対馬丸事件 なぜ疎開 8月16日 無線傍受 8月21日 乗船・出航 8月22日 22時12分 - 魚雷攻撃・沈没 漂流、遅れた救出 箝口令 - …
今日はこどもの日。 子どもらが大声で笑ったり、泣いたり、怒ったり、駄々をこねたり、 そんな子どもたちの元気な姿をみながら 平和を思う。 沖縄に戦争が来たとき、そしてその後、多くの「子どもたち」が、笑ったり、泣いたり、怒ったり、駄々をこねたりすることなく、 歳を重ねて親になり、祖父母になることもなく、 子どものまま、この…
艦砲射撃の開始 / 沈黙 / 道に溢れる人々 / 破壊されていた橋 米軍、空爆2日目 空爆と艦砲射撃 嘉手納と北谷の掃海作業 日本軍の動向 第32軍の基地隠匿作戦 慶良間列島 沖縄島 そのとき、住民は・・・ 女子学徒隊、野戦病院に向かう 慶良間列島 沖縄島 - 道路は人で溢れた 破壊されていた橋 - 護郷隊 米軍、空爆…
瀬底島の沖縄戦 1945年3月下旬の空襲 1945年4月22日 米軍上陸 日本軍のいない瀬底島 日本兵を追い返す 米軍占領下の瀬底島 米軍と直接交渉し、強制収容をまぬがれる 1945年8月、瀬底島の少女 強制収容がなければ復興も早い 島の住民のいのちを守ったのは 瀬底島の沖縄戦 戦争になったとき、島の運命を左右するのは…
1945年6月23日 沖縄戦、第32軍司令官の死 「義勇兵役法」の公布と即日施行 日本の思考停止とブレーキ不在 隠された「一億総特攻」計画 1945年6月23日 沖縄戦、第32軍司令官の死 1945年6月23日、沖縄の第32軍司令官牛島満が摩文仁の司令部壕で自刃する。指揮を失ったまま、沖縄戦は司令官の最後の指令「最後ま…
いつ再び起こってもおかしくない米軍機事故 1959年 6月30日火曜日午前10時40分。 子どもたちは学び舎にいた。 うるま市石川の上空を飛行中の嘉手納基地所属F100D戦闘機が突然火を噴き、宮森小学校近く住宅地に墜落。衝撃で地面から跳ねあがった機体はそのまま宮森小学校の校舎に激突した。飛び散った燃料で現場は瞬く間に火…
V-J Day 9月2日9時2分 降伏文書調印式 / 伊是名の敗残兵と住民虐殺 / 米国軍政府と沖縄諮詢会 V-J Day(対日戦勝記念日) 9月2日9時2分、戦艦ミズーリでの降伏文書調印式 第32軍の敗残兵 終戦後の伊是名「軍当局」による住民虐殺 そのとき、住民は・・・ 米国軍政府と沖縄諮詢会 V-J Day(対日戦…
金武観音寺の米国移転計画 / 海軍司令部壕「玉砕」電文 / 使い捨ての兵 / 盾にされる住民 米軍の動向 日本軍を追う米軍 危機に瀕する金武観音寺 第32軍の動向 包囲される海軍司令部壕 小禄の大田実少将、最期の電文 高平野戦病院 - 見捨てられた負傷兵 そのとき、住民は・・・ 壕からの追い出し 住民を盾として利用した…
「ギズモ」とよばれた仕掛け 4月1日、読谷・嘉手納で米軍が「桜花」を接収 バカ爆弾の仕組み 1945年3月21日、第1回神雷桜花特攻隊、戦果なし。 1945年4月1日、第2回神雷桜花特攻隊。戦果なし アメリカ公文書館の写真から 兵器研究のために本国に送られた。 日本の降伏後にも大量の大型バカを発見 桜花作戦の「戦果」 …
普天間基地とは… 1945年6月、沖縄戦の戦時占領で建設 アメリカの常識では考えられない米軍基地 2004年8月13日に沖縄国際大学で起こったこと 午後2時15分、墜落炎上 消火させるだけ消火させ、後は地位協定で排除 住宅街に弾丸のように突き刺さる破片 在沖米軍、名物「素晴らしい功績」「緊急着陸」発言 基地内消防署員に…
日本軍が建設したテニアンの飛行場 / 午前8時15分 / 核兵器と沖縄の米軍基地 / ホロコーストと原爆 / 米軍統治下の沖縄の被爆者 米軍、広島に原子爆弾を投下する 1時45分、エノラ・ゲイ、テニアン島を離陸 8月6日、8時15分、広島に原爆投下 その後の沖縄米軍基地と核兵器 第32軍の敗残兵 ホロコーストと新型爆弾…
Building on the site of the Harbin bioweapon facility of Unit 731 関東軍防疫給水部本部731部隊(石井部隊) (from wikipedia commons) なぜ日本の大学の研究者たちは「悪魔の研究」に手を出してしまったのか。研究者たちは「一線を越えた…
大田昌秀の原点 / 自民党の沖縄選挙戦略と官房機密費3億円 / 若者たちへのメッセージ 大田昌秀 (1925年6月12日 - 2017年6月12日) 1945年 - 鉄血勤皇隊として 沖縄師範鉄血勤皇隊「千早隊」とは 1990年-1998年 沖縄県知事 1995年、米軍用地の強制使用手続き代理署名を拒否 1995年、「…
那覇に進撃 / 兵力の8割を喪失 / 陸軍病院の南下 / 恩納岳の包囲 / 県庁・警察部壕の撤退 米軍の動向 首里に迫る米軍 那覇への進軍 第32軍の動向 第32軍 - 兵力の8割を喪失 徐々に始まる首里からの撤退 南風原陸軍病院の撤退命令 陸軍病院一日橋分室から伊原第三外科壕へ 糸数壕 (アブチラガマ) から伊原第三…
瀬長島 - 始祖の島、恋の氏神の島 現在と全く違う地形 沖縄戦と瀬長島 1944年 - 日本軍による接収 1945年6月12日 - 米軍の上陸 米軍基地として接収された瀬長島 黒塗りの瀬長島 - 米軍弾薬庫 1972年、返還されないまま自衛隊基地に 施政権移行と同時に「日米共同使用」!? 現在の瀬長島とこれから 197…
文部省、学徒不在の学徒の表彰式 / 地獄船 / 辺野古・大浦崎収容所の記録 / 沖縄人という「異質な他者」 米軍の動向 日本本土への爆撃 第32軍の敗残兵 文部省、学徒のいない「学徒の表彰式」 捕虜になった日本兵 ハワイに送られた捕虜 ② 証言 ① 「裸船」「地獄船」 証言 ② 「客船」 そのとき、住民は・・・ 辺野古…
「超人間」の戦争の犠牲者 / 山城本部壕のひめゆり学徒 / アブチラガマに残された人々 / 戦場の女性たち 米軍の動向 後方で進む基地建設 小禄上陸9日目 - 瀬長島の制圧 南進する米軍 第32軍の動向 八重瀬岳の戦闘 サキアブ壕 - 山城本部壕の消滅 そのとき、住民は・・・ アブチラガマへの攻撃 潮平権現壕の救出 米…
記事について 著者について アシュワース海軍中佐について 「長崎への爆撃任務の悲惨な物語」 ファットマンが点滅する ! トラブル続きのファットマン ワイヤーボックスがひっくり返る 「悪天候」で!? 8月11日から9日へと予定を前倒し 寝不足・疲労で、組み立て作業のミス 真夜中に組み立て完了、すぐ機体にとりつけ 二つの変…
鹿山事件 - 1971年スクープ記事の背景 「27年間ヤミに葬られていた・沖縄のソンミ事件」 久米島の日本軍は米軍と戦わずして住民と「戦争」していた 1972年、久米島の自衛隊移駐問題と鹿山隊の戦争犯罪 6月26日、米軍上陸後の住民虐殺 気に入らない部下の処刑と自死 「終戦」後の住民虐殺 虐殺者の27年後、戦慄の鹿山デ…
小禄半島上陸 / 追う米軍 / 第32軍の再編 / 小禄海軍と防衛隊 / 白梅学徒隊「解散命令」/ 戦場の老人 / 米軍の動向 米軍、小禄半島に上陸 南部戦線 - 与座岳と八重岳 第32軍の動向 第32軍の再編「全戦力を傾倒して持久戦闘」 小禄の海軍と民間人 - 最後の一兵に至るまで 白梅学徒看護隊の「解散命令」 その…
日本軍の誤算、伊舎堂隊、「玉砕」とは、忠魂碑と「集団自決」 米軍、慶良間列島に上陸 午前8時4分、阿嘉島上陸 午前8時25分、慶留間島上陸 午前9時、座間味島上陸 午前9時21分、外地島上陸 午後1時41分、屋嘉比島上陸 沖縄本島西海岸への空爆と艦砲射撃と掃海 日本軍と第32軍の動向 慶良間列島に配置された日本軍の任務…
先行爆撃 / 第32軍、首里司令部壕へ / 女子学徒隊の動員 米軍、沖縄全域への空爆 第32軍の動向 首里司令部壕への移動 「打つべき手は打ってある」 沖縄島 そのとき、住民は・・・ 女子学徒隊、看護要員として動員される 慶良間列島の空襲 沖縄島 米軍、沖縄全域への空爆 HyperWar: USMC Monograph…
終わらぬ会議 / 八重山の日本軍 / 供出と収奪、飢餓と戦争マラリア / 戦後の自警団「日本兵から婦女子を守れ」 降伏への道 ポツダム宣言受諾後の日本 米軍の動向 神風特攻隊の攻撃 掃討作戦 八重山諸島の日本軍 土地の強制接収と飛行場建設 用地を強制接収し、国有地に 海軍 - 特攻艇秘匿壕の建設 住民と朝鮮人軍夫の強制…
1972年3月25日「わたしは悪くない・当然の処罰と思う」 「日本軍人として当然のことをやった」 「久米島は離島で一植民地である」 1972年5月28日「ワシは日本軍人としての誇りがある」 「日本の国土防衛の為」というエゴ 「地元に感謝されていた」という修正主義の言説 本土のメディアと沖縄のメディアで異なる対応 197…
摩文仁に到達 / 残虐と寛大 / 「本土のための戦略持久戦」に感状 / 金武の住民移送 / 背後から日本兵に殺される 米軍の動向 南進する米軍 - 南部をほぼ制圧 残虐な行為と寛大な行為 第32軍の動向 摩文仁司令部壕 - 「沖縄敗るれば」 感謝状に「歓喜」 -「本土のための持久戦」 総崩れの第32軍 - 日本兵の投降…
日本兵の「沖縄人」 / 米兵の「沖縄人」 / レイシズムとセクシズム / 郵便事業の再開 第32軍降伏調印式までの動向 日本兵と「沖縄人」 沖縄にきた日本軍 沖縄人は「スパイ」 米軍と「沖縄人」 満足しているというステレオタイプ レイシズムとセクシズムの重層構造 そのとき、住民は・・・ 郵便事業の再開 第32軍降伏調印…
赤い月面 / 最終防衛ラインの崩壊 / 陸軍病院のひめゆり / 収容施設と軍作業 / 日本兵に殺される - 伊江島住民の移送 米軍の動向 首里に迫る米軍 シュガーローフとハーフムーン 陸軍看護隊 (従軍看護婦) の到着 第32軍の動向 首里石嶺町 - 最終防衛ラインの崩壊 小禄の海軍 南風原陸軍病院 - ひめゆり学徒隊…
日米に引き裂かれた兄弟の再会 / やんばる、井澤隊の住民虐殺 / 沖縄人捕虜の尋問 / 尖閣諸島戦時遭難事件 米軍の動向 戦利品 第32軍の敗残兵 三中勤皇隊 - 戦争で引き裂かれた兄弟 やんばる、喜如嘉の住民虐殺 屋嘉収容所 - 沖縄人捕虜の尋問 そのとき、住民は・・・ 一心丸・友福丸事件 - 遭難した石垣島の疎開民…
北部の掃討 / 「皇軍」の神話と現実 / 7月12日の沖縄住民の状況 / 百名収容所から大浦崎へ / 子を失い、親を失う 米軍の動向 北部の掃討戦と偵察活動 第32軍の敗残兵 「皇国」の神話と現実 そのとき、住民は・・・ 7月12日現在の沖縄住民の状況 百名民間人収容所から北部東海岸へ 国民学校から兵隊へ - 息子を失…
米軍司令官の死と復讐という名の虐殺 / 「最後まで敢闘せよ」日本軍司令官最期の指令と日本兵の住民虐殺 米軍の動向 バックナー中将の死 南進する米軍 - 最後の追い込み 復讐という名の虐殺 (1) 民間人虐殺 第32軍の動向 第32軍最後の指令「最後まで敢闘せよ」 第32軍最後の指令 - 学徒を指揮し遊撃戦へ 第32軍司…
シュガーローフの手榴弾戦 / 沖縄陸軍病院のひめゆり / 北海道の兵士とすずらんの花 / コザ野戦病院 米軍の動向 後方で進む基地建設 総攻撃5日目 日本軍の動向 南風原陸軍病院 - ひめゆり学徒隊 今頃、北海道ではすずらんの花が そのとき、住民は・・・ キャンプ・コザの野戦病院 米軍の動向 後方で進む基地建設 197…
一中鉄血勤皇隊・摩文仁を生きのびて / 沖縄の日本軍とハンセン病・愛楽園と強制収容 / 米軍の動向 〝沖縄〟という米軍基地の建設 第32軍の敗残兵 摩文仁を生きのびた学徒 そのとき、住民は・・・ 日本軍とハンセン病 沖縄の療養施設 - 南静園と愛楽園 1944年 - 日本軍の強制収容 使われなかった赤十字の旗 過酷な避…
中飛行場の自壊 / 投降 / 運天港爆破 / 渡嘉敷「集団自決」 米軍の動向 慶良間諸島侵攻・3日目 運天港への空爆 - 秘匿基地の爆破 第32軍の動向 嘉手納飛行場 - 最後の特攻 読谷飛行場・嘉手納飛��場の自壊命令と、それを阻む米軍機 学徒隊: 鉄血勤皇隊と通信隊の犠牲 慶良間列島の海上挺進戦隊 4隻の出撃 阿嘉島…
独立記念日の沖縄 / 捕虜収容所の画家 / 大宜味村で続く住民惨殺事件 / やんばるの飢餓地獄 / 真壁 戦死者44.9%の村 米軍の動向 7月4日 - 米独立記念日の沖縄 日本軍陣地の調査 - 小禄の海軍陣地 第32軍の敗残兵 捕虜収容所の画家 - 金城安太郎 大宜味村、宜名真・辺戸住民惨殺事件 そのとき、住民は・・…
1972年5月15日 『沖縄返還』は、1945年から米軍統治下にあった沖縄が日本に「返還」された日といわれています。しかし・・・ 沖縄は返還されていますか。 辺戸岬にたち、 茫々たる風が吹きわたるこの地点から海の向こうにある日本の姿を見てもらいたいと思います。 1972年5月15日 どのように「沖縄不在」のまま 「沖縄…
アハシャガマ 集団死の条件 沖縄県史「アハシャ壕の集団自決」 包囲される伊江島 防衛隊が民間人の壕にやってくる 防衛隊員が爆雷の信管を 支那事変帰りの防衛隊員は家族と集団自決 アハシャガマ 壕はゴルフ場のそばの道路に面しており、またプレートもあるのでわかりやすい位置にあります。現在は崩落の恐れがあり壕の中に入ることはで…
正午の「玉音放送」堪え難きを堪えたのは / 宇垣特攻と伊平屋島 / それぞれの8月15日 / 沖縄諮詢会の設立に向け 日本の降伏「終戦の詔書」 1945年8月15日正午の「玉音放送」 米国の動向 日本軍の動向 宇垣特攻 -「玉音放送」後の特攻 終わらない沖縄の戦場 - 敗残兵の8月15日 捕虜収容所の8月15日 そのと…
戦利品狩り / 敗残兵の孤独と狂気 / 恐怖という呪縛 軍の女性蔑視と女子看護要員 / 東恩納博物館の設立 / 民間人野戦病院で 米軍の動向 戦利品への執着 第32軍の敗残兵 孤独と狂気 - ある歩兵中隊長の死 女性蔑視の日本軍と女子学徒 そのとき、住民は・・・ 東恩納博物館 沖縄人のための野戦病院 米軍の動向 END…
前田高地を生きのびて 外間守善とは 封印された記憶を解き放つ 前田高地の戦い - ハクソーリッジ 5月4日に前田高地で負傷 負傷兵を「後始末」しながらの撤退 沖縄は「捨て石」だった ゲリラ戦をつづけ、9月3日に投降 沖縄語を使っただけでスパイとして殺される 前田高地を生きのびて 沖縄戦。 生存率10%の前田高地の戦い。…
米国人捕虜の救出計画 / 鹿山隊の仲村渠一家惨殺 / 瀬嵩民間人収容所と「二見情話」 米軍の動向 連合軍捕虜の救出計画 第32軍の敗残兵 久米島 - 鹿山隊の住民虐殺 ➂ 仲村渠一家の虐殺 阿嘉島と渡嘉敷島の投降交渉 そのとき、住民は・・・ 瀬高民間人収容所 - 東喜市と「二見情話」 米軍の動向 連合軍捕虜の救出計画 …
民間人収容所を襲う日本兵 / 宜野座収容所と宜野座野戦病院 / ���者を運ぶ / 収容所で死ぬ / 中川初等学校の設立 米軍の動向 今帰仁の掃討 読谷の日本軍陣地跡 第32軍の敗残兵 民間人収容所の襲撃 沖縄島からの脱出 - 警察特別行動隊(警察別動隊) そのとき、住民は・・・ 宜野座収容所と宜野座野戦病院 死者を運ぶ …
"On This Date During the Battle of Okinawa, 76 Years Ago" shares daily links to blog posts that describe the battle, typically from the point of view of citizens of Okinawa.
盛った戦果と「本土決戦」の準備 / 竹槍部隊 / 轟の壕の島田知事 / 封鎖された島の軍と食糧 / 壕から出ていけ 米軍の動向 南進する米軍 与座岳の陥落 - 最後の追い込み 日本兵と民間人捕虜の収容 第32軍の動向 本土決戦へ -「我に大陸作戦の利」 崩れゆく���衛線 - 竹槍部隊 島田叡知事 - 轟の壕から摩文仁へ移…
戦利品 - 文化財の破壊と流出 / 恩納岳の掃討 / 八重山戦争 - 白水への避難命令と戦争マラリア 米軍の動向 南進する米軍 - 雨と泥との闘い 琉球の文化財 - 破壊と流出 日本兵と民間人捕虜の収容 第32軍の動向 北部 - 第2護郷隊、恩納岳からの敗走 そのとき、住民は・・・ 宜野座初等学校: 設立者の体験談 八…